糸井重里
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代表的なキャッチコピー
- 君に、クラクラ。(カネボウ化粧品)[注釈 6]
- くうねるあそぶ。(日産自動車・セフィーロ)※井上陽水がCMに出演。
- 生ビールがあるじゃないか、あるじゃないか。(キリン・ラガービール)
- ロマンチックが、したいなぁ。(サントリー・レッド)
- あったかい夜を、プリーズ。(同上)
- A・B・C・Dのうちで、あなたに当てはまる部分をお読みください。(サントリー・ペリエ)
- がんばった人には、NCAA(サントリー・NCAA)
- くろまてがクロマティになる。(バップ・スーパーリアルベースボール'88)
- 大人も子供も、おねーさんも。(任天堂・MOTHER2 ギーグの逆襲)
- いまのキミはピカピカに光って。(ミノルタ MINOLTA X-7)※宮崎美子がCM出演。
- よろしく。(小学館・矢沢永吉写真集)
- やたッ。(ロンドンレコード・RCサクセション・1982年サマーツアー)
- サラリーマンという仕事はありません。(セゾングループ・求人広告)
- オランジェ・デ・キドル(資生堂・レシェンテ)※宮沢りえがCMに出演。
- 本当の主役は、あなたです。(日本テレビ・24時間テレビ番組内コピー)
- TRAiNG(JR東日本)
- 「イノセンス それは、いのち。」 - 映画『イノセンス』
- まりちゃんはヘビィ・メタル(浜田麻里)
他多数。
スタジオジブリ作品キャッチコピー
- 「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」 - 映画『となりのトトロ』
- 「4歳と14歳で、生きようと思った」 - 映画『火垂るの墓』
- 「忘れものを、届けに来ました。」 - 映画『となりのトトロ/火垂るの墓』
- 「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」 - 映画『魔女の宅急便』
- 「私はワタシと旅にでる。」 - 映画『おもひでぽろぽろ』
- 「カッコイイとは、こういうことさ。」 - 映画『紅の豚』
- 「タヌキだってがんばってるんだよォ」 - 映画『平成狸合戦ぽんぽこ』
- 「好きなひとが、できました。」 - 映画『耳をすませば』
- 「生きろ。」 - 映画『もののけ姫』
- 「家内安全は、世界の願い。」 - 映画『ホーホケキョ となりの山田くん』
- 「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」 - 映画『千と千尋の神隠し』
- 「猫になっても、いいんじゃないッ?」 - 映画『猫の恩返し』
- 「ふたりが暮らした。」 - 映画『ハウルの動く城』
- 「見えぬものこそ。」 - 映画 『ゲド戦記』
新潮文庫
- インテリげんちゃんの、夏休み。(新潮社・新潮文庫)
- 想像力と数百円。(同上)
- 少年少女をやめた夏。(同上)
- 拳骨で読め。乳房で読め。(同上)
- 十年後の夏、また泣いた。(同上)
- 「がんばれ、犯人!」な夜もある。(同上)
パルコ
- 僕の君は世界一(パルコ)
- あそんでねむれ。(同上)
- 本読む馬鹿が、私は好きよ。(同上)
- 愛するひとは、あなたを愛してくれますか。(同上)
西武百貨店
- 1980年「じぶん、新発見。」
- 1981年「不思議、大好き。」
- 1982年 - 1983年「おいしい生活。」
- 同名の矢野顕子(作曲・歌唱)の曲の作詞も行っている。
- 1984年「うれしいね、サッちゃん。」
- 1984年「狩人か。旅人か。」
- 1985年「情熱発電所」
- 1986年「元禄ルネッサンス」
- 1987年「じゃない。」
- 1988年「ほしいものが、ほしいわ。」
- 1989年「より道主義だ。」
- 1990年「いいにおいがします。」
※そのほか、1985年尼崎市に開店したつかしん店の店名を命名している。
その他
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- 1989年に藤田元司が巨人監督に復帰した際、巨人の野球を「噛めば噛むほど味が出る『スルメ野球』」と評した。
- ユニクロ野菜「SKIP」のプロデュース。
- 2005年創部の萩本欽一がオーナーと監督を兼任する社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の命名。
本人が否定した作品
以下のコピーは「糸井作」のものだと紹介されることがあるが、2007年7月10日、公式サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の日替わりコラム「今日のダーリン」内で、本人自らが否定した。
注釈
- ^ かわいいペンギンが登場するが、ストーリーは陰惨な内容という作品であった。
- ^ 「ヘンタイよいこバンド」(忌野清志郎、チャボ、矢野顕子、坂本龍一、鈴木さえ子、どんべで構成)をはじめ、井上陽水、高橋幸宏、篠原勝之、立花ハジメ、南伸坊、合田佐和子、栗本慎一郎、仲畑貴志、ムーンライダーズ、ブッチャーブラザーズ、コント赤信号、浅葉克己、東京乾電池、三遊亭円丈等が出演。司会は和田又八だった。
- ^ 投稿が掲載されてポイントをためれば「名取」になり、自分の名前の一部に「井」「重」「里」の文字をいれた「萬名」を名乗ることが許された。さらにポイントがたまると「師範」を許された。この「現代によみがえった、江戸時代の俳諧遊び」のような楽しさに投稿者たちは熱狂し、川上宗薫、山藤章二、すがやみつるなども一投稿者として参加した。また、刊行元であるネスコ編集者の名女川勝彦(現・文藝春秋社取締役)が「番頭」役として参加していた。1988年に連載は終了。萬流コピー塾の師範出身者には、「萬名・小林井秀雄」(本名小林秀雄。のち、プロのコピーライターとなり、代表作は「私、脱いでもすごいんです」)、「萬名・重亀海昌次」(本名亀海昌次。糸井より年上のアートディレクター)、「萬名・戸田里昭吾」(本名戸田昭吾。作詞家としてポケットモンスターの主題歌などを作詞。広告コピーやシナリオ執筆)、「萬名・吉田浩之里」(お笑いプロデューサーになり、ヒロ吉田)、「萬名・原囲一也」(本名原口一也、さくまあきらの弟子のゲーム・ライターとなった)等がいる。
- ^ 糸井が編集局長で、各号の編集長を、久住昌之、みうらじゅん、島地勝彦、渡辺和博、天野祐吉、南伸坊、秋山道男、蛭子能収、川上宗薫、石原真理子、泉麻人、鈴木慶一、巻上公一、小林井秀雄に依頼し、自由な誌面を作ってもらった。
- ^ 糸井はザ・ベストテンの司会・久米宏をイメージさせる格好に扮し、共演した清水ミチコも同じく黒柳徹子を思い起こさせる格好で登場している[16]。
- ^ この当時カネボウ化粧品のキャンペーンソングとなった、男性デュオ・SKYの「君にクラクラ」の曲名にも起用された。
- ^ 実在しない賞だが(谷川俊太郎は自分の名が使われる賞の創設を固辞している)、この本を読んだ谷川が「谷川俊太郎賞をあげたい」とメッセージを送ったことから贈呈が決まった。
出典
- ^ “社長あいさつ”. 株式会社ほぼ日 (2020年6月6日). 2020年10月5日閲覧。
- ^ “役員紹介”. 株式会社ほぼ日 (2018年7月6日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ “役員紹介”. フィールズ株式会社 (2018年6月20日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ ニンドリドットコム〜糸井重里さんインタビュー〜
- ^ ほぼ日刊イトイ新聞「糸井重里500分」
- ^ 1992年のモノポリー世界選手権に日本代表として出場し、8位入賞を果たしている。なお、前回(1988年)に日本人初の世界チャンピオンとなった百田郁夫もディフェンディングチャンピオンとして出場しており、準優勝に輝いた。
- ^ “久米&糸井、“坊主”の思い出語る”. テレビ朝日. (2014年9月7日) 2020年6月6日閲覧。
- ^ 体温のある指導者。藤田元司。 第13回 期待が人間を育てる ほぼ日刊イトイ新聞 2002/11/13 (2022年9月25日閲覧)
- ^ “犬たまごができるまで”. ハル研究所. 2021年3月24日閲覧。
- ^ 「ジャングル少年ジャン番外編 ドッキンばぐばぐアニマル』1巻[要ページ番号]
- ^ “「株式会社 ほぼ日」になりました。”. 株式会社ほぼ日 (2016年12月1日). 2017年1月13日閲覧。
- ^ “ほぼ日刊イトイ新聞 任天堂、岩田聡社長と糸井重里が話す。”. 株式会社東京糸井重里事務所 (2007年9月14日). 2011年9月25日閲覧。
- ^ “糸井重里氏の「ほぼ日」、3月16日にジャスダック上場 東証が承認” (2017年2月13日). 2017年2月13日閲覧。
- ^ 新規上場会社の概要 - 日本取引所グループ
- ^ ほぼ日刊イトイ新聞-糸井重里の脱線WEB革命
- ^ “[あまちゃん]「ザ・ベストテン」を彷彿とさせる歌謡番組が登場! 司会は糸井重里&清水ミチコ”. マイナビニュース. まんたんWEB (マイナビ). (2013年7月13日). オリジナルの2013年10月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 司会者役で糸井重里が「あまちゃん」に出演! - ほぼ日刊イトイ新聞 2013年7月17日付
- ^ “となりのトトロ”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月5日閲覧。
- ^ 『東京ガス 暮らしとデザインの40年 1955→1994』1996年2月1日発行、株式会社アーバン・コミュニケーションズ。128頁~131頁
- ^ 大瀧詠一の別名
固有名詞の分類
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