由紀さおり 由紀さおりの概要

由紀さおり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 08:30 UTC 版)

ゆき さおり
由紀 さおり
2019年12月13日、旭日小綬章伝達式にて
本名 安田 章子(やすだ あきこ)
生年月日 (1946-11-13) 1946年11月13日(77歳)
出生地 日本群馬県桐生市
血液型 A型
職業 歌手
タレント
女優
活動期間 1965年 -
著名な家族 安田祥子(実姉)
事務所 田辺エージェンシー
安田音楽事務所
公式サイト 由紀さおり・安田祥子 安田音楽事務所 公式サイト
主な作品
テレビドラマ
チョッちゃん
映画
家族ゲーム
バラエティー番組など
8時だョ!全員集合
ドリフ大爆笑
コメディーお江戸でござる
道中でござる
 
受賞
毎日映画コンクール
助演女優賞
1983年家族ゲーム
岩谷時子賞
2012年
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少女時代から姉(安田祥子)とともに童謡歌手として活躍。1969年東芝音楽工業より「夜明けのスキャット」で現在の芸名で再デビューし150万枚の大ヒットとなった。1970年には、「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。国際的な知名度が高く、2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得するなど、世界的に高く評価されている歌手である。シンガー・ソング・コメディアンを自称。姉は声楽家の安田祥子で、二人で録音することや、同じステージに立つこともある。

経歴

ひばり児童合唱団出身。 洗足学園第一高等学校を経て、洗足学園短期大学英文科卒業[注 2]

安田章子としてデビュー

群馬県桐生市に生まれたが、3歳で横浜市へ移る。少女時代から姉の安田祥子と共に本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手としてデビューするが、ヒットに恵まれず停滞の時代に入る。童謡歌手時代からの仕事であるCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの出演を行いながら雌伏の時を過ごす。

由紀さおりとして再出発

1969年東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)より再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が発売される。元々TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作され、当初はレコード化の予定はなかったが、リスナーからの問い合わせが相次ぎシングルリリースが企画された。しかし由紀は歌手活動で失敗した過去に対する懸念と自らの結婚を控えていた事情もあり再デビューに消極的だったが、新たに歌詞が書き下ろされる間にいずみたくらが説得してレコーディングが実現した[1]。大ヒットとなった「夜明けのスキャット」は、最終的には150万枚[2]ミリオンセラーとなり、この年の暮れには「第20回NHK紅白歌合戦」で念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たす(以降1978年第29回まで10年連続出場)。

当時、新番組として準備されていた『サザエさん』のスタッフは由紀に主題歌の歌唱を依頼するつもりだったが、「夜明けのスキャット」での再デビューの時期と重なり、断念したという[3]

1970年には、「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。その後も「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト (室内灯)」「挽歌」「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受けた。

1973年2月11日広島市で行われた営業イベントの最中、客席から投げ込まれた紙テープの芯のようなものが額に当たり、5針縫うケガを負う[4]。 同年末、「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。

コメディエンヌ(喜劇)・女優・司会など

歌手としての人気の一方、タレント性を見込まれ、バラエティー番組に多数出演した。特に『8時だョ!全員集合』で共演したいかりや長介からの薫陶を受けコメディエンヌとしての才能も開花し、『ドリフ大爆笑』においてはゲストとして最多の出演数となり、コントの「オチ」を任せられるなど主にいかりやの相方として準レギュラーに近い立場となった。

1995年から2006年にかけては『コメディーお江戸でござる』や『道中でござる』にも準レギュラー出演し、伊東四朗と息の合った掛け合いを見せた。

1980年代にはテレビ司会者・タレント・女優としての活躍も目立ち、彼女のマルチな才能がさらに発揮されていく。1982年には『おもしろサンデー』へ桂文珍と共に司会として出演。1983年には松田優作主演の『家族ゲーム』でお惚けな母親役を演じ、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞、1987年には朝の連続テレビ小説チョッちゃん』で主人公の母親役を演じ、流暢な方言を披露した。

姉との歌手活動など

1985年には童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、1986年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになる。同年の暮れには第28回日本レコード大賞企画賞を受賞、童謡ブームの火つけ役となる。1987年には「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演した。なお、1992年第43回では自身唯一の紅組トリを務めている。また2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌っている。

実姉の安田とのレパートリーは童謡・唱歌に留まらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌など多ジャンルに渡っており、特にスキャットで唄った「トルコ行進曲」は1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」において披露されたことで一躍全国に認知。X JAPANTOSHIも「由紀と言ったら、トルコ行進曲」と歌番組共演時にリクエストするなど姉妹の代表曲として知られている。

現在でも各地で精力的にコンサートを行う一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行っている。

由紀さおりに改名してから40周年となった2009年には、ソロ名義では約四半世紀ぶりのオリジナルアルバム『いきる』を発売。また、ソロコンサートも行い盛況を収めた。「今後は姉妹名義の活動と並行しながら、(歌手としての)ソロ活動にも力を入れていく。21世紀の歌謡曲を歌っていきたい」と発言している。2012年、紫綬褒章[注 3]受章[5]。また同年の「第63回NHK紅白歌合戦」にも久々に返り咲き(ソロ歌手としては20年ぶり13回目、紅白出場は11年ぶり)を果たした。2019年、旭日小綬章受章[6][7]。2024年、第45回松尾芸能賞 特別賞を受賞[8]

各国での評価

  • ピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が各国で高く評価された。ロンドンとアメリカのステージに、プロモーションも兼ねて立った。2011年に世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位獲得という快挙を達成。さらにギリシャのIFPI総合アルバム・チャートで最高6位、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは最高18位となった[9][10]。この報道の影響もあって、特に2011年暮れから2012年に掛けて、由紀さおりのテレビ番組への出演が増加していた。
  • 同作は2011年末の第53回日本レコード大賞企画部門、芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門を受賞した。なお2012年末の第63回紅白歌合戦では、米国オレゴン州ポートランドから生中継で登場し、ピンク・マルティーニとの共演で由紀自身紅白では43年ぶりに「夜明けのスキャット」を披露した[11]

注釈

  1. ^ B面は、六文銭の「ゲリラの歌」。
  2. ^ デュエット:安田祥子
  3. ^ EMIミュージック・ジャパンのCDでは「ピンク・マルティーニ」(「マルティーニ」の部分がイタリア語読み)と表記されているが、1)YouTube にある「Thomas Lauderdale Tours Portland」冒頭で Thomas M.Lauderdale(ピンク・マティーニ リーダー)が「ピンク・マティーニ」と発音している様に聞こえる、2)アメリカのグループである、事より「マティーニ」(英語)の表記とした。(注記:たぬきだんな)
  4. ^ 2011.12.06放送の「はなまるマーケット(TBSテレビ)」で由紀さおりへのインタビューで由紀さおりが「ピンク・マティーニ」と発音していた。(注記:たぬきだんな)
  5. ^ 以前担当していたTBSラジオの笑顔のなかでと同じ時間の放送であり、裏番組にあたる

出典

  1. ^ 「いずみたく作品集」(EMIミュージック・ジャパン TOCT-24197/8)解説(執筆:土龍団)
  2. ^ 由紀さおり「夜明けのスキャット」40年の時を経て復刻、ナタリー、2009年6月19日。
  3. ^ 『サザエさん音楽大全』のライナーノーツ「主題歌・挿入歌についての覚え書き」にて
  4. ^ 「由紀さおりがケガ」『朝日新聞』昭和48年2月13日朝刊、13面、23面
  5. ^ 由紀さおり 紫綬褒章に「長く歌ってきたご褒美」”. スポニチ (2012年11月2日). 2023年3月30日閲覧。
  6. ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
  7. ^ 秋の叙勲、柄本明さんら4113人 伊達忠一氏に桐花大綬章”. 日本経済新聞 (2019年11月3日). 2023年1月20日閲覧。
  8. ^ 第45回松尾芸能賞の大賞は中村時蔵、優秀賞に佐藤B作・米川文清・古田新太・豊竹呂勢太夫”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年2月14日). 2024年2月14日閲覧。
  9. ^ J-CASTニュース 2011/11/ 7 「夜明けのスキャット」の由紀さおりアルバム 米、カナダで次々1位と世界的ヒットの快挙
  10. ^ ギリシャのIFPIアルバムチャート
  11. ^ “【紅白】由紀さおり、早朝の米ポートランドから生歌唱”. ORICON NEWS. (2012年12月31日). https://www.oricon.co.jp/news/2020279/full/ 2017年3月18日閲覧。 
  12. ^ 米iTunes1位の由紀さおり 「恋より子宮より母」選んだ過去”. NEWSポストセブン (2012年12月2日). 2013年7月1日閲覧。
  13. ^ 『月刊松山』VOL.009(アスコム社刊)より抜粋。
  14. ^ VOGUE JAPAN』2012年9月号より。
  15. ^ 若き日の志村さんは「どこか狂気に近いような…」由紀さおりが振り返る SANSPO.COM 2020.3.31 16:17(2020年4月6日閲覧)
  16. ^ 1972年8月の再放送はリメイク版かは不明。未CD化。
  17. ^ お国めぐりシリーズ第23弾
  18. ^ 特集みんなのうた―ふるさとの四季―
  19. ^ みんなのうた発掘スペシャル』Vol.1で放送。
  20. ^ お国めぐりシリーズ第28弾。未CD化。
  21. ^ 原曲:「ポカレカレ・アナ (Pokarekare Ana)」ニュージーランド民謡。未CD化。
  22. ^ 『みんなのうた発掘スペシャル』Vol.3で放送。
  23. ^ 未CD化。
  24. ^ 未CD化。
  25. ^ 『リクエスト枠』で放送。
  26. ^ バファリンEX CM紹介”. ライオン. 2016年3月25日閲覧。
  27. ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル / アートドラマ 美女と巨匠 「ヘンリー・マンシーニ」(2016年9月22日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年11月16日閲覧。
  28. ^ “2017年1月の明治座は由紀さおり特別公演、人情話と昭和の名曲披露”. ステージナタリー. (2016年12月14日). https://natalie.mu/stage/news/213186 2020年4月2日閲覧。 


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