均州とは? わかりやすく解説

均州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 09:30 UTC 版)

均州(きんしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の湖北省丹江口市一帯に設置された。

概要

547年太清元年)、南朝梁により設置された興州を前身とする。興州は武当均陽平陵の3県を管轄した。

552年廃帝元年)、西魏により興州は豊州と改称された。

579年大象元年)、北周により豊州の武当郡・安富郡の2郡を越国とされた[1]

585年開皇5年)、により豊州は均州と改称された。605年大業元年)に均州は廃止されて、淅州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、淅州は淅陽郡と改称された[2]618年義寧2年)、淅陽郡の武当・均陽の2県を分割して武当郡が置かれた[3]

618年武徳元年)、により武当郡は均州と改められた。627年貞観元年)、均州は廃止され、淅州に編入された。634年(貞観8年)、淅州が廃止され、淅州の武当・鄖郷の2県をもって均州が置かれた。742年天宝元年)、均州は武当郡と改称された。758年乾元元年)、武当郡は均州の称にもどされた。均州は山南東道に属し、武当・鄖郷・豊利の3県を管轄した[3]

1119年宣和元年)、北宋により均州に武当軍節度が置かれた[4]。均州は京西南路に属し、武当・鄖郷の2県を管轄した[5]

のとき、均州は襄陽路に属し、武当・の2県を管轄した[6]

1369年洪武2年)、により武当県は廃止され、均州に編入された。1476年成化12年)、鄖県は鄖陽府に転属した。均州は襄陽府に属し、属県を持たない散州となった[7]

のとき、均州は襄陽府に属し、属県を持たない散州となった[8]

1912年中華民国により均州は廃止され、均県と改められた。

脚注

  1. ^ 周書』宣帝紀
  2. ^ 隋書』地理志中
  3. ^ a b 旧唐書』地理志二「均州、下、隋淅陽郡之武当県。義寧二年、割淅陽之武当・均陽二県置武当郡。又置平陵県。武徳元年、改為均州。七年、省平陵県。八年、省均陽入武当。其年、以南豊州之鄖郷・堵陽・安福三県来属。貞観元年、廃均州、又省堵陽・安福二県。以武当・鄖郷二県属淅州。八年、廃淅州、又以武当・鄖郷二県置均州。又廃上州、割豊利県来属。天宝元年、改為武当郡。乾元元年、復為均州」
  4. ^ 宋史』徽宗紀四
  5. ^ 宋史』地理志一
  6. ^ 元史』地理志二
  7. ^ 明史』地理志五
  8. ^ 清史稿』地理志十四




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