土佐国 地域

土佐国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 17:22 UTC 版)

地域

江戸時代の藩

人物

国司

土佐守

土佐介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

国人

安藝郡
  • 安芸氏 - 東部の有力大名で一条氏と結んで伸張したが、長宗我部氏との抗争に敗れた。
香美郡
  • 香宗我部氏 - 一条忠頼家臣の中原秋家が宗我・深淵郷の地頭となり、忠頼の暗殺後にその子・秋通を養子としたのに始まる。安芸氏との抗争で劣勢に陥り、長宗我部氏から養子を迎え入れて吸収された。
  • 山田氏 - 山田郷。一条忠頼家臣の中原秋家の後裔。土佐七雄に数えられることもある有力豪族だったが、長宗我部国親に滅ぼされた。
長岡郡
  • 本山氏 - 本山郷。本姓は八木氏で紀貫之土佐日記にも其の名が見える。長岡郡北部を基盤とし、細川政権崩壊後にいち早く南下して土佐中央部に進出したが長宗我部氏との抗争に敗れた。
  • 長宗我部氏 - 宗我部郷。秦氏。兼序の代に明応の政変で覇権を握った細川政元の下で権勢を振るったが、永正の錯乱により政元が死ぬと滅ぼされた。しかし、子国親の代に復興し、孫元親の代で戦国大名化して四国を統一した。
  • 豊永氏 - 小笠原氏族。阿波国境豊永郷に割拠した。阿波三好・大西らと同族だが、出身は熊本県玉名郡豊永とも肥前松浦とも云う。本山氏、ついで長宗我部氏に服属したが、土豪の中では珍しく土佐藩でも上士として同郷を治め続けた[8]
土佐郡
吾川郡
  • 吉良氏 - 源頼朝の同母弟希義の後裔という。弘岡城主。土佐南学の祖南村梅軒は宣経に仕え学を講じている。吉良氏は名族故に断絶後、本山氏・長宗我部氏が相次いでその名跡を継いだ。
  • 片岡氏 - 法巌城主。七雄に匹敵する領地を持ったが早くから長宗我部氏に協力した。
高岡郡
  • 大平氏 - 本姓近藤氏。蓮池城主。細川氏の実質的な土佐守護代として働き京でも活動、一条氏の下向にも協力した。永正の錯乱後も一定の役割を果たしたが、その一条氏に滅ぼされた。讃岐に同氏族有り。
  • 津野氏 - 津野荘の地頭。姫野々城主。天文十五年(1546年)戦国大名化した一条氏に降伏。
  • 佐竹氏 - 久礼。常陸佐竹氏と同族で、新補地頭として領知を得たとみられる。佐竹親直は長宗我部元親の娘を娶って親族となった。
幡多郡
  • 一条氏 - 名門公家であるが、応仁の乱後の混乱を避け、荘園からの収入を確保するために下向した。中村に小京都を造り、戦国大名化していく。

戦国大名

地域権力

織豊大名

  • 長宗我部氏

武家官位としての土佐守

江戸期以前

江戸時代

土佐国の合戦


  1. ^ a b c d 「土佐国」『日本歴史地名体系 40 高知県の地名』 平凡社、1983年。
  2. ^ 高知市 『高知市史 上巻第一篇 古代・中世』 1958年
  3. ^ 中脇聖「土佐一条兼定権力の特質について」(『十六世紀史論叢』2号、2013年)
  4. ^ 中脇聖「摂関家の当主自らが土佐国に下向する」(日本史史料研究会監修・神田裕理編『ここまでわかった戦国時代の天皇と公家衆たち』洋泉社、2015年)
  5. ^ 土佐国衙跡(高知県教育委員会)。
  6. ^ a b c 中世諸国一宮制研究会編『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 564-569。
  7. ^ 『日本歴史地名大系 高知県の地名』(平凡社)比江廃寺跡項。
  8. ^ 真言宗智山派 土佐 定福寺


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