三宅康勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/13 13:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年3月) |
|
|
---|---|
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 寛永5年(1628年) |
死没 | 貞享4年8月9日(1687年9月15日) |
改名 | 隼人(幼名)→康勝 |
戒名 | 海巌院殿源徹了淵大居士 |
墓所 | 愛知県田原市田原町北番場の霊巌寺 |
官位 | 従五位下、能登守、土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 三河挙母藩主→三河田原藩主 |
氏族 | 三宅氏 |
父母 | 父:三宅康盛、母:貞松院(内藤政長の娘) |
妻 | 正室:法秀院(松平正綱の娘) |
子 | 於松(太田資良正室)、康雄、於奈与、隼人 |
三宅 康勝(みやけ やすかつ)は、三河挙母藩の第2代藩主、後に三河田原藩の初代藩主となる。田原藩三宅家4代。
生涯
寛永5年(1628年)、三河挙母藩主・三宅康盛の長男として生まれる。明暦3年(1657年)12月に父が死去したため、明暦4年(1658年)2月27日に家督を継いだ。寛文元年(1661年)12月27日、従五位下・能登守に叙位・任官する。寛文4年(1664年)5月9日、三河国田原に移封された。
延宝6年(1678年)3月5日など、3回にわたって大坂加番を務めた。貞享4年(1687年)8月9日に死去した。享年60。跡を長男の康雄が継いだ。
|
|
固有名詞の分類
- 三宅康勝のページへのリンク