三宅康邦とは? わかりやすく解説

三宅康邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:12 UTC 版)

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三宅康邦
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和元年11月5日1764年11月27日
死没 寛政4年2月29日1792年3月21日
改名 鎌吉、帯刀(幼名)、康邦、紫山(法号)
戒名 瑞巌院殿源宗義鼎大居士
墓所 愛知県田原市北番場の霊巌寺
官位 従五位下、能登
幕府 江戸幕府
三河国田原藩
氏族 三宅氏
父母 父:三宅康之、母:於野路(香川氏・思実院)
養父:三宅康武
兄弟 斧一郎、於滝(大森頼猶室)、市五郎、康武
康邦、政八郎、康友、於金、
妹(三宅康哉室)、妹(榊原照郷室のち植村正房室)、妹(加藤景久室)
建部政賢の娘・八重(青林院)
於美恵、養子:康友
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三宅 康邦(みやけ やすくに)は、三河田原藩の第7代藩主。田原藩三宅家10代。

明和元年(1764年)11月5日、第5代藩主・三宅康之の四男として生まれる。天明5年(1785年)に兄で第6代藩主の康武が死去したため、末期養子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下・能登守に叙位・任官する。

江戸城の門番役を歴任した。藩政では天明7年(1787年)1月、藩財政再建のために7ヵ年の倹約令を出している。寛政4年(1792年)2月29日、江戸で死去した。享年29。跡を弟で養子の康友が継いだ。





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