土佐吉田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 07:15 UTC 版)
藤原秀郷流を称した山内首藤氏の一族である。山内首藤俊宗が足利尊氏に従い、功あって土佐国に領地を得たことが始まりである。山内首藤俊宗の弟・俊氏は後に山内氏を名乗り、尾張国に住むようになる。この山内氏が、後に土佐の大名になる山内一豊の先祖である。 土佐に土着して、豪族となった後、吉田孝頼の時に長宗我部氏と姻戚となり、その重臣として活動する。一族は有能な人物が多く、長宗我部国親・元親・盛親の3代に仕えて、土佐の小豪族から四国統一の雄、そして大坂の陣の後に滅亡するまで常に主君の側にあり活躍した。長宗我部氏滅亡後、一族は離散した。 新たな土佐の主となった同族の山内氏に仕えた吉田正義、土佐で医師として活動した吉田政重、保科氏に仕えた吉田貞重、姫路で松平氏に仕えた吉田康俊らがいる。なお吉田正義の子孫に、幕末の土佐藩重鎮吉田東洋が出る。 土佐吉田氏 太字は当主、実線は実子、点線は養子。 山内首藤俊通 俊宗 吉田某 (略) 則弘 孝頼 重俊 貞重 重康 江村親家 重親 孝俊 俊政 重隆 [松平(奥平)家臣]康俊 政重 正義 (略) 正清 正秋(東洋)
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