国鉄EF62形電気機関車 運用

国鉄EF62形電気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 18:44 UTC 版)

運用

信越本線

碓氷峠の粘着運転移行に先立ち、本形式およびEF63各1両が1962年(昭和37年)に試作された。横川側の丸山信号場付近を複線化し1年間近くをかけて試験を行い、その結果は量産型にフィードバックされた。

1963年(昭和38年)初めから第1次量産型の製造が開始され、1963年7月 - 10月の碓氷峠粘着運転切り替えに伴って営業運転に投入された。

横川から軽井沢までの登坂はアプト式時代には42分を要したが、新線切り替えならびに1966年(昭和41年)の複線化後は客車で軽井沢方面行きの登坂列車が17分、横川方面行きの降坂列車が24分に短縮された。輸送定数も増加し、本形式1両で牽引する列車にEF63の2両で推進運転を行った場合で貨車なら400tまで牽引可能となった。

なお、当初は本形式とEF63の1両ずつ使用することで定数320tの貨車または最大実荷重360tの客車を、EF63の2両と本形式1両使用する場合は定数500tの貨車または最大実荷重550tの客車を牽引する予定であった[5]

当初は高崎第二機関区(現在:高崎機関区)・篠ノ井機関区(現在:塩尻機関区篠ノ井派出)に配置され、急行列車を含む客車・貨車で高崎 - 長野間が直通運転可能な運用がされた。1966年(昭和41年)の信越本線直江津電化では直江津駅まで、さらに1969年(昭和44年)の宮内電化では、新潟までの広域運用も行われたほか、1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正からは高崎以南でも本格的に運用されることとなり、上野まで客車を牽引するようになった[13]

しかし1970年代に入ると、動力近代化計画によって急行「白山」の489系500番台特急格上げや信越本線客車普通列車80系電車115系電車への電車化が進展し、1982年(昭和57年)の上越新幹線開業ダイヤ改正では普通列車完全電車化により、客車牽引は夜行列車の「妙高」「越前」「能登」[注 14]ならびに臨時列車のみとなり、本形式の運用は貨車牽引が主となった。

EF62 43「能登」

1975年(昭和50年)10月28日、EF63の2両と本形式2両の回送列車が軽井沢 - 横川間で速度超過による暴走脱線転覆事故を起こし、本形式は12・35が大破し初の廃車となった。原因はブレーキ故障と推測され、これ以降は更なる安全設備の強化が図られた。

碓氷峠越え貨物列車の廃止

碓氷峠越えは粘着運転への切替え後も貨車重量は400tに制限され、横川や軽井沢での編成分割・組替えが必要であった。このため関東 - 北陸間の貨車については、より輸送条件の良い上越線経由ルートが一般化した。

1984年(昭和59年)2月ダイヤ改正では対長野県向けの貨車も中央本線篠ノ井線経由に統一され、碓氷峠越え区間を含む信越本線安中 - 小諸間は廃止された(その後国鉄分割民営化と相前後して小諸 - 田中間も廃止された)。これにより信越本線での貨車牽引にはEF65やEF64などの一般的な構造で速度も高い機関車が用いられ、特殊機の本形式は余剰化した。

国鉄末期の荷物列車運用

EF62 21+荷物列車
1985年 山陽本線庭瀬
EF62 13
ジャンパ連結器

1980年代前半、東海道山陽本線荷物列車牽引に運用されていたEF58は老朽化が進み故障も多発し、代替機関車が必要となった。

荷物列車は乗務員用の暖房熱源供給[注 15]が必要で、暖房用ボイラーか電気暖房用交流電源を必要とする。当時の国鉄直流機関車では、SG搭載のEF61では絶対数が不足するうえに駆動系統のトラブルも多いほか、SGから出た蒸気・水の影響による車体の老朽化も起こっており、東海道・山陽線主力車のEF65は暖房供給装置を搭載していないため冬期の運用に難があった。一部に電気暖房電源搭載車のあるEF64は運用線区の関係[注 16]から余剰車がなかった。

当時の国鉄の財政状況では機関車の新製よりもEF81の進出で多数が休車となっていた交流機EF70を直流化改造し代替列車に充てる計画もあったが、碓氷峠での貨車廃止に伴い電気暖房用電源を搭載した本形式に廃車が発生することから、本形式が転用されることになった。この計画は1983年(昭和58年)秋に国鉄本社運転局から発表された[14]

当時の荷物列車の牽引にあたっていたEF58は、東京機関区[注 17]浜松機関区・米原機関区・宮原機関区に所属していた[15]1984年(昭和59年)2月1日ダイヤ改正では、荷物列車の受け持ちを下関運転所に移管し、運用の効率化を図るとともに本形式を下関に転属させてEF58を置換える計画であった[16]。ただし、ダイヤ改正までは信越本線碓氷峠でも貨物運用があることや乗務員・検修の訓練が必要であることから、1984年3月28日の仕業[注 18]までは下関に転属および貸し出されたEF58が代走することとなった[17]高崎第二機関区から下関には26両(EF62 4・13 - 34・36 - 38)が転入した[18][17]

乗務員・検修の訓練が終了し、1984年3月25日から順次本形式は運用入りとなり、3月29日までにEF58を完全に置換え、汐留 - 下関間の荷物列車運用[注 19]に投入された[19][20]。運用開始直後はほぼ信越本線運用時のままで使用されたが、荷物列車の入換を行う際に支障となる電気暖房用KE3形ジャンパ連結器の移設などの小改造が1984年9月から順次行われた[21]。山岳路線での牽引力重視設計で、定格速度が39.0km/h(全界磁)に設定された低速機であったため、平坦区間主体の東海道・山陽本線での運用では高速・高負荷運転による主電動機のフラッシュオーバーが発生するも、対応策[注 20]を取ることによりそれほど大きな問題にはならなかった[19][22]。東海道・山陽本線の臨時列車牽引にも荷物列車運用の間合いを生かして本形式が充当されることとなり、当時の団体臨時列車に多用された12系客車14系客車20系客車の他、スロ81系お座敷客車や国鉄末期に改造の相次いだジョイフルトレインも多数牽引している[23]

転用からわずか3年も経過しない1986年(昭和61年)11月1日ダイヤ改正において、国鉄の荷物列車自体が廃止されることになったため、東海道・山陽本線に転じた本形式は余剰となった。急行「銀河」の米原 - 大阪間の牽引機に転用する案も浮上したが[22]実現せず、これらの車両は1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化までにすべて廃車された[注 21]。また、信越本線でも1985年(昭和60年)以降夜行列車「妙高」の電車化と荷物列車廃止、貨車のさらなる削減が行われただけでなく、中央本線・篠ノ井線で運用されているEF64に余裕が生じたこともあって、篠ノ井機関区に所属していたグループも後述する田端運転所への転属車を除き、同時期に廃車となっている。

分割民営化後

EF62 46+12系「くつろぎ
EF62 46+12系
下り「さよなら碓氷峠号」

国鉄分割民営化時には、本来の信越本線で運用されていたEF62 41・43・46・49・53・54の6両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承され田端運転所配置とされた。

唯一の定期運用は夜行列車「能登」の牽引と間合い運用となる黒井 - 二本木間の貨物運用であり、その他は波動輸送に伴う碓氷峠を通過する臨時列車の牽引が主であった。

引退

「能登」の牽引と貨物の定期運用は1993年(平成5年)3月18日のダイヤ改正489系電車に置換えられたことで消滅し、EF62 49・53が廃車になった。以後は波動輸送対応のみとなるが、北陸新幹線先行開業区間の建設工事では軽井沢へのレール輸送列車を牽引した記録がある。

最後まで稼働状態で残ったのはEF62 43・46・54の3両で、横川 - 軽井沢間廃止直前には同線の廃線を記念した臨時快速「さよなら碓氷峠号」「さよなら碓氷峠レインボー号(スーパーエクスプレスレインボーで運転)」「浪漫」「江戸」といったジョイフルトレイン旧型客車などの牽引に投入された。

1997年(平成9年)の碓氷峠区間廃止後には、EF63の廃車回送や年末には上越線でのイベント列車の牽引に投入されたが、観光列車の電車への置き換えなどによって1998年(平成10年)8月から順次廃車され、1999年(平成11年)1月4日付でEF62 54が廃車され本形式は廃形式となった[24]


注釈

  1. ^ 本来アプト式は登山鉄道のようなローカルな観光路線などに使われるもので、輸送量の大きな主要幹線に用いるべきシステムではない。
  2. ^ 軽井沢方面行下り列車では、先頭になる本形式が牽引しEF63が推進するプッシュプル運転であるが、横川方面行上り列車ではEF63+EF63+本形式の3重連となり、先頭のEF63から総括制御となる[2]
  3. ^ 2以降は小型の明かり窓を設置。また後年、黒く塗装した例もある。
  4. ^ 実際のEF63の台車は軽井沢側から順に19t・18t・17tと、勾配上での軸重移動を考慮した変則軸重に設定されている。
  5. ^ KE77A形はKE63形の改良タイプで、ともに定格電圧100V 27芯で互換性がある。
  6. ^ EF60の3次車 - 5次車も同じスペックである。
  7. ^ コンパクトなボギー式ではなく手法としては蒸気機関車に近い。
  8. ^ 中間軸の横圧に関しては、軸受部に「遊び」を設けることである程度解消できることを日立製作所が試作したDF93の結果で判明したが、軸受部の一定以上の横動を許容する設計は高速運転時の蛇行動を抑止する観点では決して好ましい設計ではない。一方、Bo-Bo-Bo配列では中間台車の芯皿にかかる横圧が大きく、国鉄新性能電機最重量級となったEF66では揺れ枕を上下二重構造にするという対策を採り、結果更なる重量増大を招いている。この両者の比較は、国鉄の極端な「標準化」志向とその後日本における機関車製造の技術停滞もあって今日に至るまで詳細な検証はなされていない。
  9. ^ これらの機構は、同時期に設計・製造されたED74ED75に使用されている2軸台車DT129形に採用されたジャックマン装置に似た構造となっている。
  10. ^ 他に新製時から搭載された直流機関車はEF64が存在するが、一部車両は未搭載で落成のため全車が装備された直流機関車は本形式のみである。またSGからの改造による搭載はEF57(工事施工以前に事故廃車となった12を除く)ならびにEF58の一部へ施工された
  11. ^ かつての客車暖房は機関車に搭載した蒸気発生装置 (SG) または暖房車から供給される高温の蒸気によって行われる蒸気暖房が主流であった。電気機関車の場合は架線電源が利用可能・取扱が容易・軽量・スペース節減などの効果から機関車へ電気暖房供給用交流電源装置を搭載する方式が優位であることから、交流機関車には1950年代末から搭載されていたが、直流機関車で新製時から搭載されたのは本形式が最初である[注 10]。なお同時に信越本線で運用される旧型客車も原則的に電気暖房追設工事(2000番台化)が施工された。詳細は電気機関車から暖房用電源の供給を受けるものも参照のこと。
  12. ^ EF63と異なり装備位置は前後対称である。なおアンテナの予備台座が貫通扉脇に設けられていたが、EF62 43・46などは運用末期にこれを撤去していた。
  13. ^ この2両以外にも国鉄時代に片側をPS22B形へ交換した機体が存在する[12]
  14. ^ 「妙高」は1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正により169系電車化。「越前」は臨時格下げされた後に1993年(平成5年)3月18日ダイヤ改正で「能登」に統合ならびに489系電車化され廃止。
  15. ^ 荷物列車は郵便車を連結していることが多く火災発生時に被害が甚大になりやすいことから車掌車で多用されているストーブの使用が禁止されていた。
  16. ^ EF64は中央本線など曲線の多い路線での運用が多く、3軸台車のEF62では軌道負担が過大になり脱線の危険があった。
  17. ^ 浜松機関区の台検代用機として。
  18. ^ 仕業途中で日付が変わる運用もあったため3月29日まで運用されたケースもある。
  19. ^ 山陽本線の荷物列車は一部が瀬野八を回避することのできる三原 - 海田市間で呉線を経由したほか、対四国輸送として宇野線にも入線している。
  20. ^ 高速かつ高負荷運転によるフラッシュオーバーはEF60でも経験していたため、その時のノウハウを応用した。
  21. ^ 廃車となり国鉄清算事業団所有となった車両のうち25が開業直前の本四備讃線瀬戸大橋線)走行試験用の死重に使われた。
  22. ^ 2017年(平成29年)4月2日以降同機は、同センターでともに保管それていたEF63 19[25]と同様に所在が確認されていない。

出典

  1. ^ 碓氷鉄道文化むらについて”. 碓氷鉄道文化むら. 2021年4月19日閲覧。
  2. ^ 『鉄道ファン』(交友社) 1996年12月号、No.428、p.19
  3. ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.21頁。 
  4. ^ a b c 『鉄道ファン』(交友社) 1996年12月号、No.428、p.23
  5. ^ a b 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、18頁。 
  6. ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.26頁。 
  7. ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.25頁。 
  8. ^ a b 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.24頁。 
  9. ^ a b c d e f g 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、23頁。 
  10. ^ 日本の鉄道史セミナー』 (p.199)
  11. ^ 『鉄道ファン』(交友社) 1996年12月号、No.428、p.24
  12. ^ 『鉄道ファン』(交友社) 1990年12月号、No.356、p.67
  13. ^ 『鉄道ファン』(交友社) 1969年2月号、No.92、p.84
  14. ^ 『電気機関車EX』通巻7号、p.10
  15. ^ 『電気機関車EX』通巻7号、p.11
  16. ^ 『電気機関車EX』通巻7号、p.13
  17. ^ a b 『電気機関車EX』通巻7号、p.15
  18. ^ 『電気機関車EX』通巻7号、p.14
  19. ^ a b 『電気機関車EX』通巻7号、p.36
  20. ^ 『鉄道ファン』(交友社)1984年7月号、No.279、pp.23 - 30.
  21. ^ 『鉄道ファン』(交友社)1984年10月号、No.282、p.127
  22. ^ a b 『電気機関車EX』通巻7号、p.37
  23. ^ 『鉄道ファン』(交友社)1985年5月号、No.289、pp.27 - 28
  24. ^ 『鉄道ファン』(交友社) 1999年7月号、No.459、p.71
  25. ^ a b 保存情報:笹田昌弘「全カテゴリー保存車リスト」『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2017年7月25日、219頁。 






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