博多華丸・大吉 博多華丸・大吉の概要

博多華丸・大吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 22:31 UTC 版)

博多華丸はかたはなまる大吉だいきち
2018年撮影。左から博多華丸、博多大吉
メンバー 博多華丸
博多大吉
別名 華大
華丸大吉
結成年 1990年
事務所 吉本興業
活動時期 1990年 -
出身 福岡吉本1期
出会い 福岡大学落語研究会
旧コンビ名 さろこま共同体
岡崎君と吉岡君
鶴屋華丸・亀屋大吉
福大土木経済
現在の活動状況 テレビ・ライブ・MCなど
芸種 漫才ものまねコント
ネタ作成者 博多大吉
現在の代表番組 あさイチ
華丸・大吉のなんしようと?
火曜は全力!華大さんと千鳥くん
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
とことんサンデー
Hi-Ho!
おもいッきりDON!
おもいッきりPON!
華丸大吉の2020
華大の知りたい!サタデー
教えてもらう前と後など
同期 ケン坊田中
カンニング竹山
コンバット満
立川談慶
千原兄弟
FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
白川悟実(テンダラー
堀内健原田泰造ネプチューン
ウド鈴木キャイ〜ン
X-GUN
電撃ネットワークほか
公式サイト プロフィール
受賞歴
2014年 THE MANZAI 2014 優勝
2019年 第26回福岡県文化賞
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博多華丸・大吉
YouTube
チャンネル
活動期間 2015年 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 4.59万人
総再生回数 233万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年1月15日時点。
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吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー、しばらく福岡で活動後2005年に上京した。博多弁漫才を全国展開するなど活躍している。略称は「華大(はなだい)」「華丸大吉」。

メンバー

博多 華丸(はかた はなまる、本名:岡崎 光輝〈おかざき みつてる〉1970年4月8日 - )(54歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって左。
福岡県福岡市早良区出身。
博多 大吉(はかた だいきち、本名:吉岡 廣憲〈よしおか ひろのり〉1971年3月10日 - )(53歳)
ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。
兵庫県神戸市生まれ[1]、福岡県古賀市出身。

来歴

デビューまで

2人は1989年福岡大学へ入学した同期生で、大学入学時に2人ともお笑いをやっているサークルに入ろうと探したところ落語研究会しかなく、そこへ所属したことで出会った。勧誘情報には「ゆるい上下関係」とあったがその実態はガチガチの縦社会で、サークルに対しての不満を言い合うなどして親交を深めた[2]

地元のタウン情報誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから2人に「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがある[3]。最初の面接時に会った社長の雰囲気から、2人の本能が絶対に怪しいプロダクションに違いないと訴えかけたためただひたすら逃げる口実を探していたが、面会を重ねる毎にトントン拍子で売り出すパッケージングの形などが決まっていった。どうしても逃げ出したかった2人がたまたま目にした吉本主催による福岡でのお笑いオーディション番組の参加者募集広告を利用して、社長の面会の日に君たちを東京の番組にねじ込むからと言われてから「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです」と懇願して断った。このプロダクションは実は大きな芸能事務所で断った建前上、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたとのこと[2]

吉本興業福岡事務所創設初となるオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に、「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。番組での決勝出場者のうち8組中2位までが合格となり福岡吉本1期生となれる副賞があったが、2人の結果は4位で不合格だった。しかしながら事務所立上げに関し人手が足りないという理由で、優勝したコンビ「ター坊ケン坊」(カンニング竹山田中健二が組んでいたコンビ)のメンバーだった田中経由で福岡吉本から声がかかり、2人とも大学を中退。同年5月に1期生となる[4]

初代吉本福岡事務所長となった吉田武司の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針に則って「華丸・大吉」のコンビ名でのデビューが決まっていたが、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」という理由で更には「さらにめでたい名前をつけよう」という意向から「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と命名された[1]

福岡吉本時代

デビュー時点では深刻なコンビ格差が生じており、『お笑いめんたい子』優勝コンビである「ター坊ケン坊」のター坊としてデビューした竹山と華丸が2トップとして売り出され、福岡吉本1期生総出演の『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ)にレギュラー出演が決まったものの、大吉はフロアディレクターとして見切れる形で出演していた。竹山が1年で福岡吉本を辞めたことで漸く大吉にも出番が回ってくるようになり、大吉は「竹山が上京しなかったら今でも裏方を続けていただろうし売れてもいなかった」と語っている[5]。以降、華丸は福岡吉本の看板芸人として、大吉はMCとしてローカル番組に出演し続け、『夜はとことん』『とことんサンデー』『華丸・大吉の鉄腕ももち』(テレビ西日本)、『今夜も大勉強!』(RKB毎日放送)など多くのレギュラー番組を獲得し、福岡県内で中高生を中心にトップクラスの人気を確立[1]

1995年に『めちゃ²モテたいッ!』(フジテレビ)において「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降2組は親交を深める。なお、当時の華丸・大吉は司会やMCが主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった[6]

1997年、『とことんサンデー』においてテレビ西日本が福岡吉本の了承を得ないまま大吉を1年間アメリカに留学させ、随時番組でその模様を追いかける企画を番組上で発表した。しかし吉本側の了承も無いままの発表だったため、同局と吉本との間でトラブルに発展した。このトラブルの背景には、地元局と福岡吉本の2代目所長だった玉利寛の仲が悪かったことが挙げられる。大吉はこのトラブルが解決するまで1年間自宅待機を強いられ実質の休業、番組も急遽打ち切られた。この休業期間中に大吉はネタを書き溜め、以降のネタ作りはそれまでの華丸中心から大吉中心へ移行した[7][8]

大吉の休業が明けた1998年4月からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が開始。しかし、当初関西ローカルだった深夜番組吉本超合金』(テレビ大阪)が福岡でも放送開始され、1999年には福岡吉本の自前劇場「吉本111劇場[注 2]」がオープン。大阪吉本の芸人が福岡のテレビ番組や劇場に出演し始めたことで「大阪の笑い」が福岡にも入るようになった[1]。吉本超合金のメイン出演者であるFUJIWARA2丁拳銃には福岡でも熱狂的なファンがつき、華丸・大吉のネタでウケていた観客が一切笑わなくなった。また、人気者のFUJIWARAが『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)ではスベリキャラの様に扱われている姿を見て、大吉は東京のテレビに畏怖の念を覚えた[2]

1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)へ出演し、13勝4敗でゴールドバトラーに認定された。

2001年、第1回『M-1グランプリ』へ出場するも結果は11位[注 3]で決勝進出を逃した。結成10年未満の出場資格が定められていた中、既に結成11年だったため出場資格は無かったが初回のM-1は日本各地の吉本の劇場に客席審査員を置くシステムだったことから、福岡吉本からも1組出場させたい吉本興業側から出場要請を受けたこと、またとある作家に「改名すれば、芸歴は1年目にリセットされるので出場できる」と言われて「華丸マル・大吉」名義で出場した[9]。準決勝まで進み、ほぼ決勝進出するからと本放送直前の『ナイトinナイト』(朝日放送テレビ)の生出演が決まるなどがなされたが、直前に主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」と実質失格扱いとなった。この時点で結成10年を超えていたため次年度以降は出場できず、これが最初で最後のM-1出場となった。

2002年頃から華丸・大吉の東京進出に賭ける機運が高まっていたが、2人に目をかけていた当時吉本社長の林裕章が病に倒れたことや、福岡吉本側が看板芸人である華丸・大吉を手放したくなかった事情もあってこの話は一旦立ち消えとなった。

2004年4月、屋号を博多に変更し現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際、「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれたためである。その女性から「いい名前がある」と勧められたのが「博多」の屋号で、「屋号を博多に変えて2年以内に2人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされた[1]

改名に際してかつて博多淡海を名乗っていた元吉本新喜劇座長の木村進にも報告し、快く認めてもらったという。

東京進出

2005年4月、3年越しの念願だった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけには、複数の要因があった。

  • 華丸は東京進出について先述の元女性職員によるアドバイスに「背中を押していただいた」ことや[1]、華丸の長女が小学校入学を控えており就学中の転居を避けたかったこと[10]を挙げていた。
  • 同期の竹山がカンニングとして全国区でブレイクした時は、2人のかつての同期であることやネタも標準語主体だったため祝福した。しかし福岡吉本で5期後輩のヒロシは、福岡で仕事がなく止むを得ず上京したはずが別の事務所に入り直して熊本弁のネタでブレイクを果たし、福岡へ凱旋した際も以前には見たことも無いほどの笑いを獲った。それを見た2人が「1回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと実感した」とショックを受けたことも、東京進出を決意した要因となった[11][12]
  • BS放送開局記念番組に出演した島田紳助の「東京の時代は終わった。これからは1回宇宙へ飛ばしてそこから配信していく時代だから、東京に限らず地方どこにおっても出てくるやつは出てくる」という発言を耳にした華丸は、その発言を「ずっと信じて」福岡で活動していた。デビュー13年目に紳助と初めて話す機会が生まれ、2人は紳助から「何で君ら福岡でやってんねん」と聞かれた。華丸は「よくぞ聞いてくれました」「(紳助の言葉を信じてやってきたと)やっと言える」と思ったが、その直後に「アホちゃうか? 東京やで。何してんねん」と言われてしまった。華丸は紳助の掌返しのような発言に憤慨したものの、この言葉も尤もだとしてまた東京進出を決断する要因になった[13]
  • 当時NHK福岡の番組で共演していた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京進出を勧めていた[6]

上京後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となったほか、月に数回は福岡での活動を並行した。当初テレビ局や制作会社には新人と見なされたため、東京進出直後はテレビ出演1本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っていたが、舞台での出演数をこなすことや上京前から出演していた『ピィース!』(テレビ西日本)や『ナイトシャッフル』(福岡放送)などのレギュラー番組が、東京での華丸・大吉を密着取材するコーナーを引き続き放送するなどの応援により、それなりの生活が維持できている状態であった。

35歳になってから上京、各お笑い番組のオーディションを受けるものの当時は「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、求められていない感があった」ため[14]、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり[15]、10歳以上年下の審査員から「痛々しい」と言われたりなどの仕打ちを受けた[11]。それに加えて、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変し、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられたと振り返っている[16]

全国的なブレイク

2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の企画コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」第6回大会に華丸が出場した。同番組は上京後初めてオーディションに合格した番組であり、華丸にとって本来4~5番手のものまねレパートリーだった[14]パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日)における児玉清ものまねで優勝、一躍注目を浴びた。続く第7回大会も優勝し、優勝賞金100万円を獲得。同コーナーでは唯一の連覇達成者となった。結果として、「伝わりづらい面白さ」を活かせる同コーナーが華丸の、ひいては「博多華丸・大吉」の知名度を大きく上げることになった[15]

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』に出場した華丸が決勝大会に進出し、東京での看板ネタとなっていた児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝を成し遂げた。決勝直前に華丸は予選でずっと使ってきた児玉清のネタを変更し、急遽「ゴルフコンペを間違えてゴルフ場の受付と揉める博多のおじさん」のコントで決勝に出場すると言い出したため、大吉や密着取材をしていたテレビ西日本のディレクターが2人がかりで児玉清ネタのままにするよう説得し、大喧嘩となった。最後は華丸が折れた形になったが大吉の説得が正しかったことで「コンビとしての上下関係が決まった」となり、以後コンビの主導権は大吉が握るようになった[17]。なお、世間の一部から「華丸がR-1で披露したネタは大吉が作った」と噂されたことに対し、大吉は「ネタは2人で作って、(大吉が)『児玉清さんをやるように言った』というのが本当のところ」と語った[18]。このような経緯もあり、華丸は優勝賞金500万円を半ば強引に大吉と折半した。

2006年5月19日、なかやまきんに君からの紹介で『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の「テレフォンショッキング」に初出演。

2008年9月4日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日)の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に大吉が出演。自身の暗い経歴などのネガティブなトークが注目されたことで同番組への出演回数が増え、「大吉先生」と称されるキャラクターやトークの巧さが世間に認知されるようになった。大吉自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因に挙げた[15]

『アメトーーク!』では、2012年3月8日放送の「小忙しい芸人」にて営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之(当時雨上がり決死隊)の「今度、華丸・大吉芸人やろうや」という提案がきっかけで、2012年5月17日・24日の放送によって華丸・大吉に所縁のある芸人が集結した「華丸・大吉芸人」が実現。更に2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、2人に同年のアメトーーク大賞が授与された。

『THE MANZAI』優勝

2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。本人たちは「若手の大会だから」と出場しないつもりだったが、西川きよし今いくよ・くるよらから説得されたため出場を決意した[19]。予選を勝ち抜き認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出。「(大会最高顧問のビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、1回戦で「乾杯の挨拶」を披露したが福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れた。獲得したのは関根勤からの1票のみだったが、たけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」と評して「泣きそうです」と応えた。

2014年、再び『THE MANZAI』に出場。2013年の年末にたけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と直接問いかけられたことが出場のきっかけで、大木こだま大木こだま・ひびき)などの先輩も大会出場を後押しした[20]。認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出。1回戦はワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。出番直前に出場した三拍子のネタがかなりウケていたため、大吉は出番前に敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていなかったため)まずい」と言ってしまったほどであった[21]。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を1回戦のネタも絡めて披露した。このネタを選んだのは客層を考えた上での大吉による独断だったが[10]アキナトレンディエンジェルを相手に10票中9票を獲得し、優勝に輝いた。

たけしは番組エンディングで「俺は(華丸・大吉の)ファンだからなぁ」と述べ、放送後の記者会見では、その他の出場者である若手芸人の漫才と華丸・大吉の漫才の違いを、流行りの食堂老舗の名店の味に例えて讃えた[20]。大吉は番組の最後に「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と挨拶した。

『THE MANZAI』の優勝者には優勝賞品としてフジテレビ深夜帯の冠番組が贈られるが、当初2人は既にキャリアを重ねたコンビとしての優勝であったことや、系列のテレビ西日本で冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』を持つなど、既に数本のレギュラー番組があることから、賞品番組の辞退も考えていた[22]。しかし『THE MANZAI』の他の出場者も含め、若手に全国区の番組に出る機会を与え彼らに経験を積んで欲しいとの思いもあり、2015年4月から9月まで若手芸人やパフォーマーを迎えるトーク番組『華丸大吉の2020』のMCを務めた[23]。なお、『THE MANZAI』が2015年以降、『THE MANZAI マスターズ』(2017年までは『プレミアマスターズ』)と銘打った漫才師の競演形式となってからも、華丸・大吉は番組から招待されるという形で毎年出演している。

東京スポーツ映画大賞と並行して行われる「ビートたけしのエンターテインメント賞」では、2012年と2015年に「日本芸能大賞」を受賞した。2015年は単独受賞であった。

『THE MANZAI』優勝以降

2015年にデビュー25周年を迎え、2016年1月9日・10日に福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催した。岡村隆史(ナインティナイン)などコンビに縁のある多数の芸人がゲストで登場したほか、タモリ・たけし・明石家さんまらがビデオメッセージで祝福し、25周年に花を添えた[24]

このライブが成功を収めたため、翌年以降も「博多華丸・大吉○○周年記念公演」と題したライブを毎年開いている[25]。なお2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止に鑑み、29周年記念公演を中止した[26]

2018年4月2日より、有働由美子井ノ原快彦20th Century、当時V6)の後任として『あさイチ』(NHK総合)の2代目キャスターに就任。新しい「NHKの朝の顔」となった。

2018年10月には、「漫才を中心に様々な分野において活躍しながら、県内外において福岡県をPRし続けており、福岡県の文化の振興・発展に大きく貢献している」との理由で、第26回福岡県文化賞・社会部門を受賞。2019年3月5日に贈呈式が行われたが、スケジュールの都合でビデオメッセージでの出演となった[27][28]

2020年にデビュー30周年を迎えた。結成30周年記念イベントは、2021年1月23日に福岡ドームにて行われる予定だったが、依然としてコロナ禍が治まらない状況のため中止となった。大吉は周年記念イベントについて「世の中が落ち着いて、いいタイミングが来たら」実施する予定とし[29]、後述の「華大どんたく」まで待つこととなった。

2023年には、22年ぶりに地元・福岡で開催される世界水泳選手権の『テレビ朝日 世界水泳福岡2023 応援団』に就任した[30]

2024年2月10日に、福岡ドームにて結成33周年記念イベント「博多華丸・大吉 presents 華大どんたく supportedバイ 洋服の青山」を開催。3万4000人以上の観客を動員した。「愛と人脈の総力戦」と称し、ビデオ出演も含めた48組80人の芸人がネタ披露、運動会、大喜利などの企画を行い、9時間半にわたってイベントを盛り上げた[31][32]


注釈

  1. ^ NSC大阪校8期と同期扱い。
  2. ^ 2003年に閉館。
  3. ^ 公式な成績ではなく本人談。
  4. ^ 『THE MANZAI 2017』2017年12月17日付放送分。ネタとしてのセリフではあるが、華丸が「(ボケは)3つで何とかなる」と語り、大吉も最後に「(今回の漫才のボケは)種類で言うと3つ」としていた。

出典

  1. ^ a b c d e f アメトーーク!』(テレビ朝日)2012年5月17日付放送分。同番組DVD Vol.24収録
  2. ^ a b c フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』(AbemaTV2017年7月26日付配信分
  3. ^ 博多華丸 これぞ 十九の春! - ||| 博多華丸・大吉私信電心 |||
  4. ^ “華丸・大吉、デビューへ背中を押したのは長渕剛の歌 葛藤する2人に「やるなら今しかねえ」”. sanspo.com (サンケイスポーツ). (2017年10月28日). オリジナルの2017年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171029065241/https://www.sanspo.com/geino/amp/20171028/geo17102815340017-a.html 2017年10月29日閲覧。 
  5. ^ カジサック KAJISAC (2019年5月24日). “【初告白】大吉さんが不遇の時代について初めて語ってくれました”. YouTube. 2019年5月25日閲覧。
  6. ^ a b c 1周回って知らない話』(日本テレビ)2016年10月26日付放送分。
  7. ^ 博多大吉「第10章 経験としての26歳」『年齢学序説』幻冬舎、2010年2月。ISBN 978-4344017825 
  8. ^ “博多大吉、17年前の突然の休業の真相明かす”. デイリースポーツ. (2014年5月3日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006929130.shtml 2014年5月13日閲覧。 
  9. ^ M-1グランプリ2001 準決勝・大阪 なんばグランド花月 2001/12/2
  10. ^ a b お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)2016年6月19日付放送分。
  11. ^ a b 今回の"極上空間" 1月18日(土) 第144回 ゲスト:森口博子×博多華丸”. BS朝日 (2014年1月18日). 2016年12月2日閲覧。
  12. ^ 八方・陣内・方正の黄金列伝』(読売テレビ)2014年5月3日付放送分。
  13. ^ 博多華丸 紳助さんの言葉信じて福岡で下積みも…初対面で全否定「アホちゃうか?」”. スポニチ. スポーツニッポン新聞社 (2019年2月15日). 2019年2月16日閲覧。
  14. ^ a b “博多華丸・大吉が激白…上京直後は苦戦の連続だった”. ZAKZAK (産経デジタル). (2006年8月4日). オリジナルの2006年9月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060901012051/http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080418.html 2016年12月16日閲覧。 
  15. ^ a b c 【エンタがビタミン♪】博多華丸・大吉、理想の売れ方だった。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が転機。”. TechInsight (2014年2月12日). 2014年12月30日閲覧。
  16. ^ a b “【エンタがビタミン♪】華丸・大吉がナインティナインに感謝「神社つくって奉納したい」”. TechInsight. (2015年12月2日). https://japan.techinsight.jp/2015/12/hanadai-25th-nainai-01.html 2016年12月17日閲覧。 
  17. ^ 博多大吉が過去のコンビ大喧嘩を語る「R-1ぐらんぷり決勝のネタをめぐり2時間半くらい言い合い」”. ライブドアニュース (2014年2月18日). 2014年12月30日閲覧。
  18. ^ たまむすび』(TBSラジオ)2014年12月17日放送分。
  19. ^ “博多華丸・大吉、「THE MANZAI」優勝の裏側にあったビートたけしからの言葉”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年10月28日). https://web.archive.org/web/20171029122734/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171028-OHT1T50069.html 2017年10月29日閲覧。 
  20. ^ a b c 華丸大吉の優勝コメント、キャリア制限のないTHE MANZAIのおかげ。”. お笑いナタリー (2014年12月14日). 2014年12月16日閲覧。
  21. ^ 博多大吉、『THE MANZAI』優勝の勝因を語る。「決勝に行けると思っていなかった」”. TechInsight (2014年12月18日). 2014年12月30日閲覧。
  22. ^ 博多華丸・大吉 THE MANZAIの優勝特典に「もう大丈夫」”. ライブドアニュース (2014年12月16日). 2015年7月6日閲覧。
  23. ^ 博多華丸・大吉 『THE MANZAI』副賞の冠番組に込めた思い”. NEWSポストセブン (2015年4月25日). 2015年7月6日閲覧。
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