銅メダル
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 23:59 UTC 版)
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銅メダル(どうメダル、英: Bronze medal)は、スポーツや音楽などの競技会・競演会(コンクール)において、各部門中、3番目の成績をあげた個人または団体に対し、その栄誉を称え授与される賞牌である。[1][2][3]
概要
「銅メダル」というが、銅製であろうが青銅製であろうが等しく「銅像」というのと同様、日本語では銅製メダルも青銅製メダルも等しく「銅メダル」と呼ばれている。また、三等賞メダルの意味で用いられる銅メダルは、青銅ですらない場合もあり、銀・亜鉛・ニッケルの合金であったりする。コストの問題で、金合金の赤銅になることはめったにない。
第1回近代オリンピックにあたる1896年アテネオリンピックでは、優勝者に銀メダル、準優勝者に銅メダルが贈られ、3位入賞者にはメダルではなく賞状が贈られた。
特記事項
個人競技の大会では、レギュレーション上、2人に銅メダルが授与されるものがある。この場合、一方が剥奪されても繰り上げはない。
FIFAワールドカップでは4位チーム(3位決定戦敗退)にも銅メダルが授与されたことがある。ワールド・ベースボール・クラシックや日本の高校野球の春・夏の甲子園大会には銅メダルが無い。
三番の常連
ブロンズコレクター
貴金属の社会的価値に準じた金・銀・銅(青銅)に象徴される順位付けにおける、「銅(青銅)」ばかりをコレクションしている者という意味で、「ブロンズコレクター(和製英語:bronze collector)」という表現もある。
「ブロコレ」という略語もあり、日本の競馬の分野ではよく使われている。この語は、競馬評論家・須田鷹雄が提唱し、漫画家よしだみほの連載漫画『馬なり1ハロン劇場』を通じて広まったとされる。
脚注
出典
関連項目
「銅メダリスト」の例文・使い方・用例・文例
- 昨年の世界選手権銅メダリストの為末選手は,今年8月の前回のレースでは,腰に違和感を覚えて棄権した。
- 2002年と2003年の世界フィギュア選手権大会の銅メダリスト。
- 2002年と2003年の両方の世界フィギュア選手権大会の銅メダリスト。
- 岡本選手は,2000年シドニー五輪の女子67キロ級銅メダリストである。
- アトランタ,シドニーの両大会では,男子砲丸投げの金,銀,銅メダリストが辻谷さんの砲丸を使用した。
- 末續選手は,2003年の世界選手権の200メートル競技で銅メダリストになった。
- 三宅選手の父でコーチでもある義(よし)行(ゆき)さんは1968年のメキシコシティ五輪の銅メダリストだった。
- 冨田選手は米国アナハイムでの2003年世界選手権で総合種目の銅メダリストだった。
- 2002年と2003年の両方の世界フィギュアスケート選手権の銅メダリスト。
- 彼女は1998年の長野五輪で同種目の銅メダリストだった。
- しかし2回戦で,彼はアテネ五輪銅メダリストの井上謙(けん)二(じ)選手に投げられ,敗れた。
- 女子のショートプログラムでは,2008年の世界チャンピオンである浅田真(ま)央(お)選手が美しい演技で1位となり,今年の世界選手権の銅メダリストである安藤美(み)姫(き)選手は3位に入った。
- バンクーバー五輪の銅メダリスト,高橋大(だい)輔(すけ)選手が男子競技で世界選手権初優勝を果たした。
- 彼女は優勝したアリッサ・シズニー選手(米国),カロリナ・コストナー選手(イタリア)に次いで銅メダリストとなった。
- 彼らはハードル選手,走り高跳び選手,やり投げ選手,そして北京五輪男子400メートルリレーの銅メダリストである朝(あさ)原(はら)宣(のぶ)治(はる)さんだった。
- 義行さんは1968年のメキシコシティー五輪のウエイトリフティング銅メダリスト。
- ロンドン五輪の銀,銅メダリストの入(いり)江(え)陵(りょう)介(すけ)選手(24)は背泳ぎ種目の100メートルと200メートルで萩野選手を破って優勝した。
- 100メートル平泳ぎで渡部選手はロンドン五輪銅メダリストの鈴木聡(さと)美(み)選手(23)を破った。
- 2010年バンクーバー五輪の銅メダリストである髙橋大(だい)輔(すけ)選手が10月14日,フィギュアスケート競技からの引退を表明した。
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