本調査
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2009年(平成21年)9月15日から2週間の予定で本調査に踏み切る。砂原遺跡発掘調査団を結成した。 調査初日は9月15日、午前中は出雲市教育委員会の埋蔵文化財担当責任者と打ち合わせ、午後遺跡に着く。トレンチを台地上に設定。発掘場所は南北に7メートル、東西4メートルの28平方メートル。遺跡の広さからすれば小さな窓を開けるようのもので、目指す石器を掘り当てるのは運任せである。パワーショベルで約20センチメートルの厚さで土を剥いでいった。Ⅰ~Ⅴ層まで遺物出ず。Ⅱ層の古土壌層の最上部に微量の鬼界アカホヤ火山灰と姶良Tn火山灰の火山ガラスが多量に含まれていることは分かっていた。上層のスキ取りに二日半懸かった。地表下1.5メートルのところで重機での掘削を止め手彫りに切り替えた。 この発掘調査には、旧石器遺跡の堆積環境の解明という目的とその後の科学的な分析に耐えられるデータを収集することを主眼に置いた。このような考古学の調査方法は自然科学的な手法に限りなく近づけることになる。トレンチ内を1メートル四方のグリッドに区切り、一つのグリッドを一人が担当し隣接するグリッドとも合わせトレンチ全体が同じ高さになるように掘る。これを「スライス掘り」と呼ぶ。長さ数ミリの砕片(石屑)は言うに及ばず、1~2ミリの炭粒でさえも見逃さない。この調査法の有効性は1980年代の長崎県国見町(現雲仙市)にある百花台東遺跡の発掘で証明されている。石器や礫が出土すると竹ベラや竹串を使って慎重に輪郭を出し色々な観察の末に取り上げる。さらに、スライス掘りで生じた排土はグリッドごとに土嚢袋に収納し、後で見逃された遺物を回収する。掘り進むと旧地表面の乾裂面が見つかった。その面上で炭粒や木葉形の炭化物見つかる。炭粒は人が火を焚いたことと関係するかも知れない。乾裂面はⅥa層中、Ⅵa層とⅥb層の境界面、Ⅵb層中でも見つかっている。Ⅵa層中から直径5ミリメートルほどの管状ないし紡錘状の高師小僧(たかしこぞう)も検出された。さらの出土した石器・礫の表面には褐鉄鋼や二酸化マンガンを付着するものがあった。直立した高師小僧がⅥb層中で確認されている。遺物包含層であるⅥa層・Ⅵb層から出土する礫のサイズは径数センチから拳大ほどでサイズがそろっていた。Ⅵa層から出土した石器・礫が多く、Ⅵbからは出土数が少なかった。Ⅵa層からの礫は角礫・亜角礫が約7割である。出土平面分布は集中域が認められる。また、Ⅵa層・Ⅵb層の礫種は珪化流紋岩・弱珪化流紋岩の比率が増加する。調査を行った松藤和人は、これを自然現象で説明するより自然現象以外の要因が関与したと解釈するしかないとし、人の関与があったのではないかとする。
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