本調査会第2部の活動と成果
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「臨時台湾旧慣調査会」の記事における「本調査会第2部の活動と成果」の解説
上記の成果を上げた第1部に対して、第2部は、予期された調査の成果を上げられなかった。1904年には調査を中止し、わずかに2冊の「第2部調査経済資料報告」を刊行したのみで業を終えた。1905年(明治38年)6月の訓令により組織の改組が行われ、これまでの第2部の調査事項は第1部に吸収された。新第2部は「南清に連絡を有する農工商経済に関する調査」を担当することとされたが、こちらも見るべき成果を上げていないと評価されることもある他方、同会2部の刊行した『調査経済資料報告』につき積極的に評価するものもある。すなわち同報告書は、第1編「産業」、第2編「地方産業一般」、第3編「交通」、第4編「一般経済資料」からなるが、このうち第4編「一般経済資料」中、労働賃金、生活費などの調査は20世紀初めの台湾社会における経済実態を知る貴重な資料とされるとの説明もある。ただ以下の点には、注意をすべきである。1902年(明治35年)3月3日の新聞記事によると「第2部は貿易その他全ての商慣習を調査するにあるも目下対岸に向かって貿易拡張の時期なれば、まず貿易事項より着手することとし法学博士愛久澤直哉氏主任として屡々対岸に出張し考究に怠りなし」とある。同年愛久澤は福建省廈門において、対岸経営の実施機関である三五公司を設立する。対岸経営とは、台湾内秩序維持ならびに中国大陸南部への影響力拡大のため対岸たる福建省において樟脳専売、鉄道経営などの経済政策を進めるという総督府の方針である。愛久澤が「貿易拡張」のために「屡々対岸に出張し」ていたのは将にこの対岸経営の実施のためであった。
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