本調査会第2部の活動と成果とは? わかりやすく解説

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本調査会第2部の活動と成果

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:42 UTC 版)

臨時台湾旧慣調査会」の記事における「本調査会第2部の活動と成果」の解説

上記成果上げた第1部に対して第2部は、予期され調査の成果上げられなかった。1904年には調査中止しわずかに2冊の「第2部調査経済資料報告」を刊行したのみで業を終えた1905年明治38年6月訓令により組織改組が行われ、これまでの第2部調査事項第1部吸収された。新第2部は「南清連絡有する農工経済に関する調査」を担当することとされたが、こちらも見るべき成果上げていないと評価されることもある他方、同会2部刊行した調査経済資料報告』につき積極的に評価するものもある。すなわち同報告書は、第1編産業」、第2編地方産業一般」、第3編交通」、第4編一般経済資料からなるが、このうち第4編一般経済資料」中、労働賃金生活費などの調査20世紀初めの台湾社会における経済実態を知る貴重な資料とされるとの説明もある。ただ以下の点には、注意すべきである1902年明治35年3月3日新聞記事によると「第2部貿易その他全ての商慣習調査するにあるも目下対岸向かって貿易拡張時期なれば、まず貿易事項より着手することとし法学博士愛久澤直哉主任として屡々対岸出張し考究怠りなし」とある。同年久澤福建省廈門において、対岸経営実施機関である三五公司設立する対岸経営とは、台湾秩序維持ならびに中国大陸南部への影響力拡大のため対岸たる福建省において樟脳専売鉄道経営などの経済政策進めるという総督府方針である。愛久澤が「貿易拡張」のために「屡々対岸出張し」ていたのは将にこの対岸経営実施のためであった

※この「本調査会第2部の活動と成果」の解説は、「臨時台湾旧慣調査会」の解説の一部です。
「本調査会第2部の活動と成果」を含む「臨時台湾旧慣調査会」の記事については、「臨時台湾旧慣調査会」の概要を参照ください。

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