きょうどう‐ぼうぎ【共同謀議】
共同謀議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)
ニュルンベルク裁判において用いられた「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の指導部やヒトラー内閣、親衛隊という組織」が共同して戦争計画を立てたという「共同謀議」(conspiracy、共謀罪)の論理を、そのまま日本の戦争にも適用した点も問題視されている。起訴状によれば、A級戦犯28名が1928年(昭和3年)から1945年(昭和20年)まで一貫して世界支配の陰謀のため共同謀議したとされ、判決を受けた25名中23名が共同謀議で有罪とされている。 ナチス・ドイツ体制は、たとえば1933年の全権委任法などから総統であるアドルフ・ヒトラーの指導者原理に基づくイデオロギー集団であったナチ党によって一党支配体制が構築されていたものであり、戦前の日本の事情とは異なっている。当時唯一の政党であった大政翼賛会は対立していた旧政党が1940年に合同してできたものであり、ナチ党のような強力な団結は持っていなかった。 また、陸海軍や枢密院、重臣や木戸内大臣などの宮中グループの政治的影響力も強く、これらの間での政見の統一は困難であった。実際の被告中にも互いに政敵同士のものや一度も会ったことすらないものまで含まれていた。この状況を被告であった賀屋興宣(東条内閣の大蔵大臣)は「ナチスと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画をたてたというんだろう。そんなことはない。軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画も出来ずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」と評している。このような複雑な政治状況を無視した杜撰ともいえる事実認定に加え、近衛文麿や杉山元といった重要決定に参加した指導者の自殺もあり、日本がいかにして戦争に向かったのかという過程は十分に明らかにされなかった。 ジョージ山岡弁護人は「共同謀議なるものは、最も奇異にして信ずべからざるものの一つである。すくなくとも最近14年間にわたる孤立した関係のない諸事件が寄せ集められ、ならべたてられているにすぎない」と弁護した。 1945年以前の国際法に共同謀議については記載されていなかったという反論に対してウェブ裁判長も別個意見書のなかで「国際法は、多くの国の国内法とは異なって、純粋の共同謀議という犯罪を明示的に含んでいない」「同様に、戦争の法規の慣例も単なる純粋共同謀議を犯罪としない」と認めている。さらに「英米の概念に基づいて、純粋な共同謀議を犯罪とする権限はなく、また各国の国内法において共同謀議とされている犯罪の共通の特徴と認めるものに基づいて、そうする権限もない」とし、もし共同謀議を犯罪とするならば、それは「裁判官による立法」となるとものべている。しかし、多数派判決では共同謀議は罪状として認められた。以前の国際法に記載がなかったにも関わらず審理するということは、法学の原則である「法律なくして犯罪なし、法律なくして刑罰なし(Nullum crimen sine lege, nulla poena sine lege)」に抵触するのかどうかが問題とされていたのであった。
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