エスコーラ・ジ・サンバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 08:12 UTC 版)
「サンバチーム」の記事における「エスコーラ・ジ・サンバ」の解説
上記の理由から、日本でも本格的なサンバを志向する集まりが形成されるが、彼らは「サンバチーム」ではなく、ブラジル本国の呼び方に合わせて、自らをEscola de Samba(エスコーラ・ジ(ヂ)・サンバ、俗にエスコーラと略す)と称するのが特徴である。エスコーラ・ジ・サンバは「サンバの学校」と直訳されるが正確ではなく、エスコーラは魚の「群れ」を表す言葉である(英語のスクールにも同じ意味がある)。 これは1928年に、Ismael Silva(イズマエル・シルヴァ)を中心に主宰者たちが集まった場所の近くに「エスコーラ(学校)」があったために、洒落・冗談で「Escola de Samba Deixa Falar」(エスコーラ・ジ・サンバ・デイシャ・ファラール、「言わせておけ」サンバ学校)と名乗ったことに由来する。これが最初のエスコーラ・ジ・サンバである。[要出典] 近年では、さらにGrêmio Recreativo Escola de Samba(グレーミオ・ヘクレアーチヴォ・エスコーラ・ジ・サンバ、略称:G.R.E.S.)などと称すのが慣わしとなっている。ちなみにグレーミオ・ヘクレアーチヴォとは「リクリエーション団体」を意味し、エスコーラ・ジ・サンバは地域に根ざしたコミュニティーの役割を果たしている。 また、各エスコーラの正式名称は長いものも多い(以下参照)。また、これにGrêmio Recreativo Escola de Sambaをつけるとさらに長くなる。そのため実際は略称で表記・呼称されることが多い。 この他、リオの代表的なエスコーラをいくつか挙げる。 G.R.E.S.Imperatriz Leopoldinense(略称:インペラトリス) G.R.E.S.Império Serrano(略称:インペリオ・セハーノ) G.R.E.S.Unidos de Vila Isabel(略称:ヴィラ・イザベル) G.R.E.S.Unidos do Viradouro(略称:ヴィラドウロ) G.R.E.S.União da Ilha(略称:ウニアゥン・ダ・イーリャ) G.R.E.S.Estação Primeira de Mangueira(略称:マンゲイラ) G.R.E.S.Estácio de Sá(略称:エスタシオ) G.R.E.S.Acadèmicos do Grande Rio(略称:グランジ・ヒオ) G.R.E.S.Acadèmicos do Salgueiro(略称:サルゲイロ) G.R.E.S.Beija-Flor de Nilópolis(略称:ベイジャ・フロール) G.R.E.S.Portela(略称:ポルテーラ) G.R.E.S.Mocidade Independente de Padre Miguel(略称:モシダージ) G.R.E.S.Unidos do Porto da Pedra(略称:ポルト・ダ・ペドラ) エスコーラ・ジ・サンバと称する規則や決まりはないが、 毎年オリジナルのエンヘード(物語・テーマ)を創作し、そのシノープス(台本)によって演出が構成される アレゴリア(山車)やファンタジア(衣装)などを製作しパレードできるだけの規模や能力を持っている ポルタ・バンデイラ(エスコーラ旗を持つ女性)とメストリ・サラ(男性)というエスコーラ代表のペアが必ずいる バテリア(打楽器隊)とパシスタやジスタッキと呼ばれるダンサーがいる またバイアーナス(サンバの故郷であるバイーアの女性)とクリアンサス(子供たち)というアーラ(隊列グループ)が必ず組織されている リオでは、これらの条件が揃っていないとエスコーラ・ジ・サンバと名乗れない(なお、日本ではこの条件を満たさないものがエスコーラと名乗る場合もある)。 このため、大規模なエスコーラになると1000人単位を越し、リオのカーニバルに出場する時には一つのエスコーラで5000人以上が参加するものも多い。 リオのカーニバルは様々なシーンがあるが、最も観光客が多く集まるのはエスコーラが出場するカーニバルである。これはリーグ制に分かれたコンテスト形式になっており、毎年エスコーラは異なるエンヘードでヂスフィーレ(パレード・行進)で順位・優勝を競う。もし最下位になれば翌年は下部リーグに降格し、そこでまた競うことになる。逆に下部リーグで優勝すれば上部リーグに昇格し、そこでまた競う。したがってカーニバルはエスコーラの名誉と意地をかけた勝負の場となっている。 これらから、エスコーラはカーニバルのために年々凝った仕掛けや電飾を多く使った山車などが製作されるので、かなりの予算が投入されている。またエスコーラでは、麻薬ブローカーや賭博組織も関わっていることも指摘されており、エスコーラの役員などが殺される事件なども起こっている。 そのため、昔のような素朴なカーニバルが良かったという人も多く、肥大化したカーニバルに嫌気をさしてエスコーラを去ったCandeia(カンデイア)はじめ、エスコーラ内部の対立から追われたり去ったCartola(カルトーラ)やMestre Nílton Marçal(メストリ・マルサルなどの著名サンビスタ)も多い。 日本では、浅草サンバカーニバルをはじめとして、ブラジルのスタイルに準じたエスコーラが多く形成され、順位や優勝を競っている。
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