XとYの交際 & Y虐待事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「XとYの交際 & Y虐待事件」の解説
XとYの交際 1980年夏にXが転校前の高校卒業アルバムを入手して同級生のYに電話。YはXとは異なるクラスであり言葉を交わしたこともなかったが、文化祭で注目されていたことを思い出し、会うことになった。 YはXと2回目に会った時に「結婚を考えている相手がいる」と打ち明けられる。これはYの心を揺さぶるXの狙いがあったとされるが、恋愛感情の無いYはXの話に淡々と対応した。車で帰る際にXは車を停めて助手席のYに強引にキスをしようとしたが、この時はYが拒絶した。二人が3回目に会った時に、Xは男性交際に慣れていないYを強引に誘ってラブホテルで肉体関係を結び、YとXの交際が始まる。 1984年夏にYは叔母に子持ちの妻帯者Xとの交際を打ち明けたことがきっかけで、Yの親であるCとDの耳に入り、CとDはXが妻帯者でYとの交際が不倫関係になっているためにXと別れるようにYに求めた。またXがCの資産状況だけでなく、Dの実家の資産状況をも調べており、そのことを知ったDは私立探偵にXの調査を依頼していた。しかし、1984年8月にXがYの親C・Dに会った際に礼儀正しく好青年らしく振る舞ったり、妻と離婚してYと再婚して婿養子入りすることを約束する「事実確認書」を作成したことで、CはXを気に入るようになり、DもXに対する姿勢を軟化させた。 YはXとの肉体関係について「"いずれ養子を迎えて家を継がなければならない"と自覚しているため、Xとは結婚できる相手ではない不倫関係であるため、"恋愛におぼれてはいけない"と自制していた。でも親が養子縁組した相手と結婚するまでに、"1度くらいは恋愛経験をしてみたい"という気持ちがあった」「Xから妻との離婚について計画を聞かされる一方で自分にプロポーズしてきたため、"不倫だから申し訳ない、結婚を望むのはいけない"という気持ちが無くなる一方でXに対する恋愛感情がだんだん大きくなり、自制心が薄らいでいった」と述べている。 Y虐待事件 XはYに当初はやさしく対応していたが、Yが昔交際していた男友達の話をしたのをきっかけに暴力をふるうようになり、Yに古い日記帳を持ってくるように命じ、事細かに詰問しながら殴打するようになった。Xに信用してもらえる方法を懇願したYに対し、Xは右乳房への煙草の痕、右太股の刺青にそれぞれ自分の名前を刻ませた。また、YはXの指示であらかじめ用意していた文章を読み上げる形でYの知人男性達を罵倒し、関係を絶った。 1985年2月にXから暴力を受けていたYは勤務先の幼稚園で心労と睡眠不足による過労で倒れ、数日後の2月13日に実家で自殺未遂事件を起こす。この際にYの親は救急車をサイレンを鳴らさないように求めるなど世間体を気にしていた。 XはYを2月15日に退院させてCの家に戻さずに自分のアパートに連れ帰り、「自殺されたら原因を探られ、自分も警察に呼ばれて迷惑だ」としてYに対する暴力をさらに加速させる、Xは自殺未遂だけでなく、不倫関係が妻に発覚したら損害賠償を請求されると脅したり、Yの裸写真をカメラ撮影した。さらにXはYを幼稚園教諭を辞めさせて自分の会社で働かせる一方で、Yを実家との関係を絶つために分籍させた。
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