WGP 1976年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:56 UTC 版)
「片山敬済」の記事における「WGP 1976年シーズン」の解説
1975年のシーズンオフに石油ショックのあおりを受けてレース部門縮小を行ったヤマハから契約解除を申し渡される。この時点で片山はレースから足を洗うことも考えたというが、その直後に同じGPライダーのチャス・モーティマーからの誘いを受けて再びWGPに、今度はプライベーターとして参戦することを決意する。 このシーズンは、日本のガスライター会社であるサロメがスポンサーとなった。サロメは既にヨーロッパにおいて自転車レースのスポンサーになっていた。片山は、1975年はヤマハの契約ライダーだったので年収は800万円を超えていたが、1976年はそのような収入はなく、サロメがスポンサーについてはいたがヨーロッパでの生活は苦しく、レース用のマシンも片山自身で購入しなければならなかった。インターナショナルレースで賞金を得ながら、このシーズンから国際モーターサイクリズム連盟(FIM)のもとで開催されるようになったフォーミュラ750(F750)とWGP250ccクラス、350ccクラスに参戦。また、マン島TTレースでは500ccクラスとプロダクション250ccクラス(RD250)に参戦し、このシーズンは約75戦のレースを走った。レースで良い結果を出していたので、スターティングマネーはトップクラスの金額になったのだが、1シーズンのレース活動にはそれでも十分ではなかった。日本から呼び寄せた二人のメカニックも生活の酷さに耐えきれず、2 - 3ヶ月で日本に帰ってしまった。結局、知らない人間も含めて8人ぐらいのヘルパーの助けを借りてレースを走ることになる。このシーズンは最終戦のスペインGP以外は全レース走り、ランキングは250ccクラス2位、350ccクラス7位、500ccクラス20位、F750クラス11位であった。 Rd. グランプリサーキット250ccクラスの結果350ccクラスの結果1 フランス ル・マン 予選落ち(シリンダー焼き付き) 4位 2 オーストリア ザルツブルクリンク レース無し リタイア(チェンジペダル折損) 3 イタリア ムジェロ 2位 10位(リアサス2本の旧型TZ350で走る) 4 ユーゴスラビア オパティア リタイア(ブレーキトラブル) 3位(マシン不調) 5 マン島TT マン島 2位 9位 6 ダッチTT アッセン 2位 リタイア(チャンバー破損) 7 ベルギー スパ・フランコルシャン公道サーキット(14.175km) 11周 155.100km3位(46'49"2) レース無し 8 スウェーデン アンダーストープ(4.018km) 28周 112.50km優勝(独走)(50'30"009、平均 133.6km/h) レース無し 9 フィンランド イマトライマトラ市公道サーキット(6.03km) 19周 114.57km2位(47'19"3、平均 145.3km/h) 20周 120.60km予選落ち(転倒) 10 チェコスロバキア ブルノブルノ市公道サーキット(13.9375km) 13周 141.960km3位(51'36"34) 14周 152.880km11位 11 西ドイツ ニュルブルクリンク公道サーキット(22.81km) 6周 137.01km7位(ヘアピンで転倒) 7周 159.85km4位(104'25"5、平均 148.9km/h) 12 スペイン モンジュイック公道サーキット(3.79km) 30周 113.7km不参戦 30周 113.7km不参戦
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