ジーメンス (Siemens, Ernst Werner von)
ジーメンスという人は
エルンスト・ウェルナー・
フォン・ジーメンス
鉄鋼用のシーメンス平炉を発明したウィリアム・ジーメンス、蓄熱式加熱法を用いたガラス用のシーメンス炉を発明したフリードリヒ・ジーメンスなど 14人いるジーメンス兄弟の長兄。
ジーメンスの主な経歴
1866年、励磁電流による自励発電機を開発する。 それまでの永久磁石を用いた発電機から脱皮し、電流によって界磁を励磁する方式の最初といわれる発電機を開発した。 自励発電機についてはイギリスのホイートストンやアメリカのファーマーなど同時期に多くの開発があり、誰が先駆者であったのか実のところ定かではない。 設計から開発まで一貫して多くの改良をおこない、実用的な自励発電機にまで仕上げたという点でジーメンスの評価が高い。
1879年、ベルリン商業見本市で電気機関車を展示する。3馬力のモーターで電車を約300メートル運転した。 ベルリンの郊外で電気機関車の牽引による電車の試運転に成功し、1881年にはベルリン~リヒターフェルデ間で、電車の運行が開始された。
1879年、ベルリン電気工学協会設立に尽力し、協会は1894年、ドイツ電気技師連盟の設立を促進する。 研究こそが技術進歩の堅固な基盤であり、国の研究機関が最前線にいるべきだと説き、国立物理工学研究所の設立に5万マルクの寄付をして貢献した。
1881年、ベルリン電気工学協会での講演で、若者たちを電気工学の理論と実際に習熟させるため、すべての工業大学に電気工学の教授職を設けるべきだと訴える。 以後は各工業大学が電気工学教授を置くことになり、ドブロウォルスキーのような指導的技術者を輩出することになる。
エルンスト・ウェルナー・フォン・ジーメンス
学会の設立や電気工学の専門教授を置くなど、人材の育成に大きな貢献をしたジーメンスであったが、アメリカではゼネラル・エレクトリック研究所に代表される企業研究所がめざましい研究成果をあげていた。 人材育成の点で大学が貢献しているのは認めたが、他の手段において遅れをとるのではと心配した。
1920年(ジーメンス死後)ジーメンス・ハルスケ社は物理化学研究所を設立する。
コンダクタンスの単位・ジーメンス
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