RTと「ロシアの今日」の編集長
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「マルガリータ・シモニャン」の記事における「RTと「ロシアの今日」の編集長」の解説
シモニャンはわずか25歳でRTの編集長に2005年に就任した。彼女がジャーナリストとして活動し始めたのは18歳からである。 彼女は2008年のインタビューで「私の年齢は私がどうやってこの職に就いたのか人々によく疑問を抱かせる」と述べている。モスクワメディア法・政策研究所所長で、モスクワ大のジャーナリズムの教授のアンドレイ・リヒターは「彼女は良いコネを持っていたので指名された」と示唆した。 いくつかの情報源が彼女はウラジーミル・プーチンに近しい クレムリン支持者だと裏付けている。 プーチンが彼女に一度花を贈ったことを彼女は認めている。 花のことについて尋ねられた時、シモニャンは「報道関係者の会議で、プーチンがタジキスタンの大統領と話していた。その時私は特別な記念日である、25歳の誕生日だった。他のジャーナリストたちがこのことを話しているのを、プーチンは聞いていた。そういうわけで、私が花を受け取った。これはとても自然なことだ。これは、あなたの言う大統領の大きな配慮に当たるとは、私は考えない」と説明している。ソ連崩壊後、沢山のベテランジャーナリストたちは新しいメディア企業から求められなかったが、これは企業が経験の浅い若いジャーナリストを好んだためで、ほとんどの社員が若者であった、とシモニャンはレポーターたちに説明してきた。 ロシア国外出身のジャーナリスト約70人を含む300人のスタッフと共に、RTは2005年12月10日に放送を開始した。 シモニャンはRTの報道と政治的立場についての質問に頻繁に答えてきた。RT立ち上げの際、RTの趣旨はBBCやCNN、ユーロニュースのように、「世界へのロシアの意見を反映」してロシアの「よりバランスのとれた情報を提供」する「プロの形式」をとる、とシモニャンは宣言している。 また彼女はレポーターに、政府は内容を指示せず、「この国では政府による検閲は憲法によって禁じられている」と言った。 彼女はモスクワタイムズに対して、RTが一度物議を醸して発生した論争は局にとって不可欠なものである、と述べた。またRTの仕事はモスクワでの評判をよくすることではないとも述べた。 しかしながら局は西側でバイアスがあると繰り返し批判されてきた。シモニャンは諺を引用している、「客観的なものは存在しない。ただ複数の異なる視点から見た、真実に近いものは存在しうる」。 ロシアがジョージアと敵対する南オセチアを支援した、RTの2008年南オセチア紛争の報道について彼女は自身の考えをワシントン・ポストで議論した。英語チャンネルの間では、RTだけが南オセチア側の話しを提供していた、と彼女は述べている。RTはロシアの空襲を過小評価していると断言した、RT特派員のウィル・ダンバーの主張をシモニャンは否定し、彼の主張する検閲の存在も否定した。彼女は他の放送局と比較して「私たちは我々がロシアの放送局だという事実を隠そうとはしていない。当然、私たちはロシアの視点から世界を見ている。私たちはこの点において幾分か誠実だ。」 と述べた。 2013年12月31日には、シモニャンは新しい国営通信社である「ロシアの今日」の編集長に就任することになり、二つの団体の編集長を兼任することになる。
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