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ミュルーズ

(Mulhouse から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/25 21:23 UTC 版)

Mulhouse
  
行政
国 フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
県 (département) オー=ラン県
郡 (arrondissement) Arrondissement of Mulhouse
小郡 (canton) 4
INSEEコード 68224
郵便番号 68100 68200
市長(任期) ジャン=マリ・ボッケル
(2008年 - 2014年)
人口動態
人口 市: 112,063人
(2013年)
人口密度 4,976人/km2
地理
座標 北緯47度44分58秒 東経7度20分24秒 / 北緯47.749481度 東経7.33994度 / 47.749481; 7.33994座標: 北緯47度44分58秒 東経7度20分24秒 / 北緯47.749481度 東経7.33994度 / 47.749481; 7.33994
標高 平均:240 m
最低:232 m
最高:338 m
面積 市: 22.18km2 (2 218ha)
Mulhouseの位置(フランス内)
Mulhouse
Mulhouse
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ミュルーズ(フランス語: Mulhouse・英語: 、標準ドイツ語:Mülhausen ミュールハウゼン、アルザス語:Milhüsa ミールヒューザ)は、フランス東部、グラン・テスト地域圏のオー=ラン県南部の都市。スイス国境に接し、隣国の主要都市の一つであるバーゼルにも近い。

概要

ミュールズの位置
ミュールズの位置

地名は「水車小屋(の地)」を意味し、市の紋章も水車をかたどる。名称の通り、この地域は恵まれた水資源を動力に利用して18世紀以降、工業が発達した。なお、その当時より第二次世界大戦の終結に至るまで、帰属はフランスとドイツの間で数度にわたり移り変わった。

基本的には工業都市であり、同じアルザスでもストラスブール、コルマールのような観光客の目を引きやすい見所はない。しかし、染織美術館[1]、国立自動車博物館、シテ・デュ・トラン(フランス鉄道博物館)など、産業関連の博物館の集まる都市でもある。また、欧州物理学会の事務局を置く上アルザス大学(英語版)がある。旧市庁舎は16世紀に建造されたバロック様式で、外壁の奇抜な壁画で知られる。

沿革

クリスマス市場
中心商業地区
上アルザス大学のラ・フォンデリエ・キャンパス

紀元前58年頃、ミュルーズが始まったと伝説が残っている。

12世紀、初めて記録に現れる。神聖ローマ帝国の南アルザスのズントガウ(英語版)伯領の一部だった。

1308年に帝国自由都市となり、1354年から1515年まで十都市同盟に加盟し、1515年にジュネーヴ共和国等とともにスイスと同盟関係を築いた。

スンドゥガウは1648年、ヴェストファーレン条約によってフランスに併合されるが、当市は従わずミュルーズ市共和国として自由で独立したカルヴァン主義を保った。

1798年1月4日に実施した住民投票の結果、同年1月28日にフランスに編入されると(ミュルーズ条約)、以降はアルザス地方の帰属に従った[要説明] 。

普仏戦争(1870年〜1871年)でフランスがプロイセンに敗北すると、ミュルーズはドイツ帝国のアルザス=ロレーヌ州に併合された。

第一次世界大戦が始まり、1914年8月4日にフランス軍がミュルーズを奪い返して占領したが、直後の8月6日、ミュルーズの戦い(英語版)でドイツ軍に追い払われてしまう。第二次世界大戦下のアルザス=ロレーヌ地方はフランス領に併合されるが、ナチス・ドイツのフランス侵攻を受けた1940年にドイツに占拠された。1945年5月、終戦と共にフランス統治に戻った。

工業都市として

工業都市の礎を築いたのはケクラン家(ドイツ語版、英語版、フランス語版)(ケシュリ家)の人々で、サミュエル・ケクラン(1719年–1776年)[注釈 1]は18世紀中盤、ミュルーズで染色工場に共同出資し、代々、家業を継いで化学、服飾、機械工業を興した。 当地は19世紀にいたり、フランス国内の繊維産業の中心地に成長する。1842年、S・ケクランの孫アンドレ・ケクラン(1789年〜1875年)[注釈 2]の代に鉄道敷設を請け負うと車両の製造にも手を広げる。機関車製造工場は従業員1800人をかかえ、国内6大工場の1つに発展し、福利厚生のため従業員住宅を建てて[2]、第二帝政時代に工業都市の姿を整えていく[3]。

普仏戦争にやぶれた翌1872年、ケクランの会社はグラフェンスタデン・アルザス工業(英語版)に吸収合併され、アルザス機械工業協会(英語版)と改称した[4]。

ミュルーズは「フランスのマンチェスター」と呼ばれるほど、工業が栄えた。ケクラン家(後述)はスイスの縁者のつてをたどり、綿花の産地であるアメリカのルイジアナ州やレバントとの繋がりを強め、またアフリカに綿花プランテーションを経営し[5][6]繊維産業を支えた。さらに織物工場に取り入れた蒸気エンジンから鉄道の機関車製造へ発展させ、ミュルーズをフランス屈指の機関車製造の町へ育てる。

交通

ミュルーズ・トラム
ミュルーズ・ヴィル駅前とトラム停留所

産業

出身者

ケクラン家の系譜

ニコラ・ケクラン肖像
アンドレ・ケクラン肖像、ドュビュフェ(英語版)画

1代目をサミュエル・ケクラン(1719年–1776年 Samuel Koechlin)といい、フランスの実業家で1745年にミュルーズの布地染色工場に共同出資し[7]、プリント用刷版の彫り師クリストフ=フィリップ・オーバーカンプ(en:Christophe-Philippe Oberkampf)を雇った。

染織業

孫のアンドレ・ケクラン(1789–1875年 André Koechlin 英語版)は織物工場[注釈 3]に蒸気エンジンを採用し、さらに創業した蒸気機関車の製造工場はフランス随一の座から第6位を保つなど、ミュルーズの産業界に貢献した。地方行政にも貢献し[5][6]、1836年にレジオンドヌール勲章ナイト章を受勲。

孫で異色の経歴をもつジャック・ケクラン(1776年–1834年 Jacques Koechlin)は政治に熱心でミュルーズ市長に複数回、再選したほか、檄文を小冊子にまとめてアルザス地方を収めた中央政府の役人を批判した[8]。政府はその内容を転載した新聞各紙に圧力をかけ、本人も1823年に法廷に召喚するが、出廷を拒んだジャックは2冊目の著書を同年5月に著してその理由を述べると、7月に訴追され1冊目のパンフレットを出した罪で半年間、服役している[8]。通称ジャン=ジャック・ケクラン(Jean-Jacques Koechlin)、下院議員も務めた(オー=ラン県代表)[9]

通称ダニエル・ケクラン=シュウシュ(1785年–1871年 Daniel Koechlin-Schouch)の本名はダニエル・ケクラン(Daniel Koechlin)といい、ニコラ(後述)の弟。化学を研究した発明家で、綿花の染色に関する発明の功績によりレジオンドヌール勲章受勲。アントワーヌ・フランソワ・ド・フルクロワ伯爵(英語版 1800年–1802年)に師事。孫に作曲家のシャルル・ケクラン(1867年–1950年)がある。

シャルル・ケクラン

フリッツ・オーガスト・ケクラン(1799年–没年不明 Fritz Auguste Koechlin)はアンドレ(後述)の弟でケクラン家の製糸工場をいくつか経営し、アフリカのセネガルに大規模な綿花プランテーションを所有した[7]。

鉄道

サミュエルの孫には鉄道関係者もおり、前出のアンドレ・ケクランに加えて、直接、鉄道延伸計画を支持して実現させた者もいる。

ニコラ・ケクラン(ドイツ語版、フランス語版)(1781年–1852年 Nicolas Koechlin)は繊維産業に従事しミュルーズ商工会議所の会頭を任され(任期1828年–1835年)[6]、代議士も務めた(任期1830年–1837年)。フランスとスイス国境地帯で鉄道路線の延伸が計画されると推進派の中心的な存在として後押しし、1830年代にストラスブール・バーゼル間ならびにミュルーズ・タン(Thann)間が開通[7]。レジオンドヌール勲章の叙勲(1814年)は、ナポレオン・ボナパルトの「百日天下」に際して義勇兵団を組織した功績を讃えたものである[6]。ニコラ・ケクラン・エ・フレール社(Nicolas Koechlin et Frères)創業者。兄は政治家で製糸関連のジャック。

市長
  1. ジョスエ・ケクラン(任期1811年–1814年)
  2. ジャック・ケクラン(任期1815年、1819年–1821年)は下院議員も務めた[8]。1820年10月のミュルーズ市長選で落選、同年11月の国政選挙で当選して議員に転じ、野党の指導者として携わった[8]。
  3. アンドレ・ケクラン(任期1830年–1843年)[5][6]
  4. エミーユ・ケクラン(任期1848年–1852年 Émile Koechlin)[10]はS・ケクランの曽孫、1808年生–1883年没。
  5. ヨセフ・ケクラン=シュルムベルガー(任期1852年–1863年)S・ケクランの孫、父はジョズエ・ケクラン。1796年生–1863年没。
  6. ジャン・ミーグ=ケクラン(任期1872年–1887年 Jean Mieg-Koechlin)[11][12]。S・ケクランの曽孫、義父はヨセフ・ケクラン=シュルムベルガー。1819年生–1904年没。
フランス議会の下院議員
  • ジャック・ケクランはオー=ラン県選出[13]。
  • アルフレード・ケクラン=シュワルツ(Alfred Koechlin-Schwartz)はノール県選出。1829年生–1895年没。
  • アルフレード・ケクラン=シュタインバッハ(1871年 Alfred Koechlin-Steinbach)はオー=ラン県選出。父はダニエル・ケクラン=シュウシュ、作曲家のシャルル・ケクラン(1867年–1950年)は甥。1825年生–1872年没。

姉妹都市

国旗 国 都市名 協定の時期
イギリスの旗 イギリス ウォルソール (1953年〜)
ベルギーの旗 ベルギー アントウェルペン (1956年〜)
ドイツの旗 ドイツ カッセル (1965年〜)
イタリアの旗 イタリア ベルガモ (1989年〜)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミルウォーキー (1989年〜)
ドイツの旗 ドイツ ケムニッツ (1990年〜)
ルーマニアの旗 ルーマニア ティミショアラ (1991年〜)
イスラエルの旗 イスラエル ギヴァタイム(英語版) (1991年〜)
ロシアの旗 ロシア アルハンゲリスク (1992年〜)
アルジェリアの旗 アルジェリア エル・フロウブ (1999年〜)
マリ共和国の旗 マリ ソファラ (2003年〜)

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ↑ サミュエル・ケクランの息子の代から6名、同市の市長を務めた。
  2. ↑ S・ケクランの孫アンドレ(André Koechli、1789年–1875年)は、知識を習得し製造ラインの機械化を成功させた。
  3. ↑ アンドレ・ケクランが若い頃に働いた染色工場の経営者は妻の父。祖父と共に工場を開いて独立したジャン=アンリ・ドルフュスの系類でダニエル・ドルフュス=ミークという素封家。

出典

  1. ↑ トメ=ジャッケ 1982, pp. 7–10
  2. ↑ 中野 1990, pp. 105–138
  3. ↑ 中野 1992, pp. 19–62
  4. ↑ Smith, Michael Stephen (2006) (英語). The emergence of modern business enterprise in France, 1800–1930. p. 575
  5. 1 2 3 Lynch 1988, p. 272
  6. 1 2 3 4 5 Vogler 1987, pp. 484
  7. 1 2 3 Smith, Michael Stephen (2006). The emergence of modern business enterprise in France, 1800–1930. Harvard University Press. pp. 575. ISBN 978-0-674-01939-3 2011年9月28日閲覧。(出資者は他にJean-Henri Dollfus、Jean-Jacques Schmaltzer)
  8. 1 2 3 4 Spitzer 1971, pp. 334
  9. ↑ Spitzer 1971, pp. 334
  10. ↑ 片木 2023, p. 54
  11. ↑ (ドイツ語) Neue Deutsche Biographie. オリジナルの2012-04-06時点におけるアーカイブ。 2011年10月31日閲覧。
  12. ↑ Fischbach, Bernard (1983) (French). Ces maires qui ont fait Mulhouse. Éditions du Rhin. p. 168. ISBN 9782863390108 2011年10月31日閲覧。
  13. ↑ Spitzer 1971, pp. 334
  14. 1 2 Merian, Matthäus. “Numistral > Mulhusium Alsatiae, Muhlhausen. Nobil. Ampliss Integerr : Prud : Praestan : Viris : DD : Cons : et Senat : Civit : Mulhus : ... DDD. / Sculp. M. Merian” (フランス語). Bibliothèque nationale et universitaire de Strasbourg. 2026年7月8日閲覧。
  15. ↑ 印刷物原図は地図製作者マテウス・メーリアン(1593年生-1650年没)による[14]より。

参考文献

脚注に使用。主な執筆者、編者の順。

  • ジャクリヌ・トメ=ジャッケ(ミュルーズ染織美術館長)「フランス染織文化展、フランスの捺染の歩み」『京染と精練染色』第32巻第3号、京染・精練染色研究会、1982年1月、7-10頁、国立国会図書館書誌ID: 000000039366-d3327493。 
  • 中野 隆生(著)、東京都立大学人文科学研究科人文学報編集委員会(編)「フランス第2帝政期における労働者住宅の建設と販売 : ミュルーズ第1次労働者都市をめぐって」『人文学報』通号 216、東京都立大学人文科学研究科人文学報編集委員会、八王子、1990年3月、105-138頁、国立国会図書館書誌ID: 3339325。 掲載誌副題『The Journal of social sciences and humanities』
洋書

関連項目

関連資料

典拠に未使用の資料。発行年順。

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