MotoGPクラスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:24 UTC 版)
「チーム・LCR」の記事における「MotoGPクラスへ」の解説
2006年、チーム・LCRはストーナーと共に最高峰MotoGPクラスにステップアップを果たし、ホンダ・RC211Vにミシュランタイヤを履いてデビューシーズンを戦うことになった。第2戦カタールGPで、ストーナーは早くもチーム/自身初のポールポジションを記録し、次戦トルコGPではマルコ・メランドリとトップ争いを演じ、ファイナルラップの最終コーナーでメランドリに抜かれたものの初表彰台を記録した。その後もトップ10圏内でのフィニッシュを続け、シリーズ8位でデビューイヤーを終えた。 2007年、ストーナーはドゥカティ・ワークスに移籍し、代わりにスペインのベテランライダーカルロス・チェカがチームに加入した。新レギュレーションの適用により新たに800ccマシンのRC212Vを使用したが、チェカは新しいマシンへの順応に苦しみ、スペインGPとサンマリノGPで6位を記録するに留まった。 翌2008年はド・プニエがチームに再加入した。しかしこの年もサテライト仕様のマシンとミシュランタイヤで苦戦し、ベストリザルトはアメリカGPでの6位、シリーズランキング15位に終わった。 2009年シーズンもド・プニエとRC212Vの体制を維持したが、MotoGPクラスのタイヤ供給が一社独占になったため、チームはタイヤをブリヂストンへと変更した。ド・プニエは第10戦イギリスGPで3位表彰台に立ち、年間ランキング11位に成績を伸ばした。 2010年シーズンも同体制のまま3年目のシーズンを迎えた。シーズン前半は第5戦イギリスGP、第6戦ダッチTTでフロントロウ(予選2位)を獲得、決勝でも上位でのフィニッシュを続けて一時はランキング5位に付けていた。しかし第8戦ドイツGPでの多重クラッシュで脛骨骨折の重傷を負った後は好調を維持できず、最終的な年間ランキングは9位となった。 2011年はド・プニエに代わり、前年度のMoto2クラスチャンピオンであるトニ・エリアスをライダーに迎える。 2015年よりドゥカティより移籍したカル・クラッチロー、Moto3からステップアップしたジャック・ミラーの二台体制。クラッチローは第3戦アルゼンチンGPでは3位表彰台を獲得するがこの年のマシンの不調もあり年間ランキングは8位。 2016年はジャック・ミラーがエストレラ・ガリシア 0,0 マルクVDSに移籍。クラッチローのみの一台参戦。第11戦チェコGPにてグランプリレース初優勝、そして16戦オーストラリアGPも優勝して年間2勝を挙げる。しかしレース中の転倒も多かったため年間ランキングは7位に終わった。 2018年シーズンからはMoto2クラスよりステップアップした中上貴晶が加入し、クラッチローとの二台体制となる。クラッチローがアルゼンチンGPで優勝、アルゼンチンGPと日本GPで表彰台に立ったのに対し、中上はマシンに不慣れなところもあったため、年間ランキングは7位に終わった。 2021年はクラッチローに代わって、アレックス・マルケスが加入。
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