マルコーニ (Marconi, Guglielmo)
マルコーニという人は
イタリア、ボローニャの富裕な旧家に生まれる。リボルノの工業学校で物理学を学び、電波について技術的研究をおこなった。 ヘルツが他界した1894年にヘルツの研究を解説した本を読み、その研究に惹かれて自宅で実験を始めた。
マルコーニの主な経歴
1895年、無線電信の実験に成功する。 高い木の頂上にアンテナを取付け、他端を地中の金属に接続する接地アンテナ方式を考案し、コヒーラ検波器の改良など工夫を重ねて受信感度を高めていった。 高さ8mのアンテナで2400m離れてモールス信号の受信に成功している。
1897年、無線電信機のイギリスでの特許を取得しマルコーニ無線電信会社を設立。 イタリア政府の反応が冷たいためイギリスに売り込んだというわけである。灯台船舶用の火花式無線通信業務を展開し、世界主要国の特許を取得して市場の独占を図るが、パリ条約に未加盟であった日本での特許取得はかなわなかった。
1899年、ドーバー海峡横断の無線通信に成功する。 成功後数週間で実際に遭難船の救助に貢献し、急速に需要が高まっていく。 イギリス海軍の大演習でもマルコーニ社の無線が使用された。
1901年、大西洋横断の無線通信に成功する。 このころには無線の通信距離と発信電力の関係は経験的に知られてきており、感応コイルの火花では弱いとされた。 交流発電機の出力を20000Vに昇圧し、高圧コンデンサを用いて火花を飛ばした。送信アンテナは高さ60m、直径60mである。送受信局の設計はロンドン大学教授のまま技術顧問として迎えたフレミングによるものである。 実際には実験前に暴風で壊れてしまい、他のアンテナの使ったらしい。
1902年、磁気検波器を発明する。 コヒーラ検波器は長距離通信になると空電の影響を受けた。 これを防ぐ目的で磁気検波器を発明した。 無線技師が頭に受話器をつけるようになったのはこのときからである。
グリエルモ・マルコーニ
これらの業績に対しては各国からさまざまの栄誉が与えられた。 1909年にはドイツの物理学者ブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞し、1933年(昭和8年)、日本を訪れたマルコーニに対し、日本政府は勲一等大綬章を贈る。
海底横断通信とは競合し、経営は思わしくなかったが劇的な変化が訪れる。 1912年のタイタニック号沈没である。タイタニック発信の無線は付近の船舶に無線設備がなかったため(贅沢品とされていた)、SOSを受信できた船舶は93km離れていた。 これより、ある大きさ以上の船舶には無線機の設置が義務付けられることになった。
- Marconi, Guglielmoのページへのリンク