BETASOMから作戦を行なった潜水艦のリスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 16:08 UTC 版)
「BETASOM」の記事における「BETASOMから作戦を行なった潜水艦のリスト」の解説
1940年、28隻すべてのイタリア潜水艦は最初に地中海の基地からジブラルタル海峡を経由して大西洋に入りBETASOMを基地とした。28隻全部が事故もなく到着した。 1941年、別の4隻のイタリア潜水艦はイタリア領東アフリカ(Africa Orientale Italiana, 又は AOI)を基地としていたが、東アフリカ戦線で植民地を失った後、基地に到着した。4隻全部が、喜望峰回りでBETASOMへとたどりついた。 1940年に地中海から派遣されてきた艦 アレッサンドロ・マラスピーナ(Alessandro Malaspina) エンリコ・タッツオーリ(Enrico Tazzoli) ピエトロ・カルヴィ(Pietro Calvi) ジュゼッペ・フィンジ(Giuseppe Finci) バニョーリ(Bagnoli) ジュリアーニ(Giuliani) (この艦は短期間イタリア海軍の潜水艦乗組員に対しドイツ海軍の技術を習得させる目的でグディニャへ派遣された。) タランティーニ(Tarantini) グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi) レオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo da Vinci) ルイージ・トレッリ(Luigi Torelli) マッジョーレ・バラッカ(Maggiore Baracca) マルチェッロ(Marcello) ダンドーロ(Dandolo) モチェニーゴ(Mocenigo) ヴェニエーロ(Veniero) バルバリーゴ(Barbarigo) ナーニ(Nani) モロシーニ(Morosini) エーモ(Emo) コマンダンテ・ファア・ディ・ブルーノ(Comandante Faà di Bruno) コマンダンテ・カッペリーニ(Comandante Cappellini) ミケーレ・ビアンキ(Michele Bianchi) ブリン(Brin) グラウコ(Glauco) オタリア(Otaria) アルゴ(Argo) ヴェレッラ(Velella) 1941年夏の間に紅海艦隊から移動してきた艦 アルキメーデ(Archimede) ペルラ(Perla) グリエルモッティ(Guglielmotti) ガリレオ・フェッラーリ(Galileo Ferraris) 1941年、一部の潜水艦が地中海に戻ることとなった。ペルラ、グリエルモッティ、ブリン、アルゴ、ヴェレッラ、ダンドーロ、エーモ、オタリア、モチェニーゴ及びヴェニエロ・グラウコの10隻が移動したが、そのうちのグラウコはイギリス海軍によって沈められた。 1942年にはアミラリオ・カーニ(Ammiraglio Cagni)が派遣されてきた。
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