L1計画の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 14:07 UTC 版)
「ソ連の有人月旅行計画」の記事における「L1計画の中止」の解説
月接近飛行計画(L1計画)は、1970年10月まで月周回旅行無人ドレスリハーサルが続けられていた(1969年8月8日・ゾンド7号、1970年10月20日・ゾンド8号)。ゾンド7号は完全無欠の成功を収めたが、ゾンド8号が機内酸素の船外漏洩防止(後に続く有人宇宙船ソユーズL1の安全性検証・リハーサルの目的もあったので、無人機とはいえ重要な案件であった)、及び大気圏水切り飛行に失敗し、第2回収ポイントであるインド洋に不時着する。結局、L1計画達成も実現されること無く、1970年10月31日の政府命令により、ソユーズL1計画は正式に中止となった。 なお、1969年、アメリカのアポロ計画による有人月面着陸達成・ソビエト政府が公式に「有人月面着陸計画の存在を否定」後もL1計画を継続させた理由として、レーニン生誕100周年(1970年)を記念して、一回きりの有人月接近飛行を行うことが立案されたことがあげられる。 コロリョフ設計局(後にL3計画担当)とはライバル関係にあるチェロメイ設計局(プロトンロケットを開発した部署)が計画を担当。 ソンド8号不時着の際、最高20Gの減速度を受けたが、2003年 ISS向けソユーズ打ち上げ失敗時でも同じ数値を記録し、生命に別状は無いことが証明されている。 ソンド8号が不時着したインド洋は、有力な不時着ポイントとして想定済みで、ソ連海軍艦艇も待機させていた。 ソユーズL1計画中止までに有人宇宙船ソユーズL1(2機)は既に完成していた。 8号機まで製造された無人機ゾンド(ロシア語で「無人計測器」)打ち上げにはプロトンロケットが使用され、有人宇宙船ソユーズL1打ち上げにも使用される予定であった(L3計画と違い月着陸船の運搬が不要であったため、最大搭載量が少なくとも実用化済みのプロトンロケットで十分役目が担えた。現在でもプロトンロケットはミール等の宇宙ステーション打ち上げや通信衛星打ち上げに用いられている)
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