ジョーダン・196
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:12 UTC 版)
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| カテゴリー | F1 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| コンストラクター | ジョーダン | ||||||||
| デザイナー | ゲイリー・アンダーソン | ||||||||
| 先代 | ジョーダン・195 | ||||||||
| 後継 | ジョーダン・197 | ||||||||
| 主要諸元 | |||||||||
| シャシー | カーボンファイバー ハニカム コンポジット | ||||||||
| サスペンション(前) | ウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||
| サスペンション(後) | ウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||
| エンジン | プジョー A12 72度 V10 | ||||||||
| トランスミッション | ジョーダン製 7速 縦置き セミAT | ||||||||
| 燃料 | トタル | ||||||||
| タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
| 主要成績 | |||||||||
| チーム | ベンソン&ヘッジス トタル ジョーダン プジョー | ||||||||
| ドライバー | 11. 12. |
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| コンストラクターズ |
0 | ||||||||
| ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
| 初戦 | 1996年オーストラリアグランプリ | ||||||||
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ジョーダン・196は、ジョーダン・グランプリが1996年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。開発責任者はゲイリー・アンダーソン。1996年の開幕戦から最終戦まで使用された。
概要
プジョーエンジン搭載2年目は、ギャラハー(英:Gallaher Group)社のたばこブランド、ベンソン&ヘッジス(英:Benson & Hedges)がメインスポンサーに就いた。シーズン開幕時はカメラ映りを考慮してマシン全体が黄土色にペイントされていたが[1]評判が良くなく、数戦後にはシャンパン・ゴールドに変更された。
毎年コンセプトが変わっていたフロントウィングは、ハイノーズの2点吊り下げ式に定着した。サイドポンツーンは前後に細長いふたつのラジエターインテークが開口する珍しいデザインを採用した。
この年、ドライバーの側頭部を保護するサイドプロテクターの装備が義務付けられた。多くのチームは規定通りの大型プロテクターを取り付けたが、ジョーダンはコクピット前方に小さなフィンを付け、ロールバーを前後逆向きに取り付けるというアイデアでプロテクターの傾斜角を抑えた(コクピット前方とロールバー頂点を結んだ仮想線が基準となるため。ウィリアムズ陣営は逆にコックピット後方にフィンを立てたFW18を投入している)。空気抵抗を減らすことが出来るため、他チームも翌年以降この手法を取り入れるようになった。
1996年シーズン
ドライバーはエディ・アーバインがフェラーリに移籍し、チーム在籍4年目のルーベンス・バリチェロと、リジェから移籍したマーティン・ブランドルのコンビとなった。
開幕戦オーストラリアGPでは、スタート直後にブランドルのマシンが接触して宙を舞い、モノコックとエンジンの接合部が真っ二つに折れるという大アクシデントに見舞われる。第2戦ブラジルGPではバリチェロが地元で予選2位を獲得し、レースでも表彰台争いを演じたが、スピンによりリタイアした。
その後、12回の入賞(バリチェロ7、ブランドル5)を記録して前年とほぼ同じ22ポイントを獲得し、成績コンストラクターズランキングは5位となった。しかし、この年は表彰台獲得がなく、ウィリアムズ、フェラーリ、ベネトン、マクラーレンといったトップチームに次ぐ「第二集団」の1チームから抜け出すことはできなかった。
年末までには変化の必要性が明白なものになった。バリチェロは新規参入するスチュワート・グランプリに移籍、ブランドルはF1を引退した。チームは翌年に向けてラルフ・シューマッハとジャンカルロ・フィジケラを採用した。
F1における全成績
| 年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996年 | ジョーダン | プジョー V10 | G | AUS |
BRA |
ARG |
EUR |
SMR |
MON |
ESP |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
JPN |
22 | 5位 | |
| ルーベンス・バリチェロ | Ret | Ret | 4 | 5 | 5 | Ret | Ret | Ret | 9 | 4 | 6 | 6 | Ret | 5 | Ret | 9 | ||||||
| マーティン・ブランドル | Ret | 12 | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | 6 | 8 | 6 | 10 | Ret | Ret | 4 | 9 | 5 |
参考文献
- Henry, Alan (ed) (1996). AUTOCOURSE 1996-97. Hazleton Publishing. pp. 73-75. ISBN 1-874557-91-8
参照
「Jordan 196」の例文・使い方・用例・文例
- 彼らは今からずっと昔の1960年に結婚した
- さかのぼって1960年代には若者は長い髪をしていた
- 1960年代を振り返る
- 私の両親は1960年代にニュージーランドへ移民した人達の一部だった
- この車は1968年型だ
- 1960年代に
- バブルガム音楽は1960年代後半に10代の若者に人気があった。
- その大学では1962年に人種差別待遇が廃止された。
- 彼は1967年製のフォードのファーストバック車を所有している。
- こぎつね座でパルサーが発見されたのは1967年のことだ。
- タンザニアは1964年に家族社会主義という政策を採用しました。
- コンシューマリズムという観念が生まれたのは1960年代のアメリカでであった。
- 「リカレントエデュケーション」とは生涯学習のことで、新しい概念ではなく、1969年にスウェーデンの教育学者が発案したものである。
- 不動産投資信託は1960年のアメリカの税法改正によりはじまりました。
- 1969年に宇宙飛行士が月面を歩いた。
- 1960年代は変化と反抗の時代だった。
- 彼らは1960年代に活動したバンドです
- 彼は 1960 年に教授に任命された.
- 彼は 1960 年以来教師をしている.
- 彼の父は 1960 年になくなった.
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