HB以降とは? わかりやすく解説

HB以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 18:19 UTC 版)

コスワース」の記事における「HB以降」の解説

1989年に、それまでDFVベースから脱却した全く新しいF1用新設V8エンジンであるHBエンジン開発ベネトンワークス供給された。1991年にはジョーダン供給されたのをきっかけに、翌年にはDFR代わるカスタマーエンジンとして供給された。 1991年から1992年にかけては、他のメーカ負けないようセラミック多用した軽量なV12エンジンの開発行っていたもの断念。しかし、その開発内容フィードバックさせたエンジンとして1994年にZETEC-R(ゼテックR)V8エンジン開発ベネトンミハエル・シューマッハによる初のドライバーズチャンピオン獲得サポートした。(EC Zetec-R V8 3.5) 1995年は、前年ミハエル・シューマッハドライバーズチャンピオンにしたベネトン使用エンジンルノー V10変更したため、ザウバーへZETEC-R V8エンジン供給。但し、同年からF1エンジン排気量規定3.5Lから3.0Lへと変更されたため、ZETEC-R V8の名称ではあるが仕様前年型とは異なる。(ECA Zetec-R V8 3.0) 1996年にはF1マシン製作上のトレンドとなってしまったV10エンジン開発、ZETEC-R V10エンジンとしてザウバーワークス供給。(JD Zetec-R V10 3.0) 1997年からは、フォードとの強力なコネクションを持つジャッキー・スチュワートと、その息子であるポール・スチュワート率いスチュワートSC V10エンジンワークス供給。(VJ Zetec-R V10 3.0) 1999年ヨーロッパGPでは、同年ワークス供給した新開発V10のCR-1エンジンが、ジョニー・ハーバートドライブ優勝果たしている(スチュワートとしてはF1初優勝)。 また、カスタマー向けエンジンとしてEDエンジン供給1995年より開始供給開始当初より、ミナルディ明らかなパワー不足で、カスタマー供給チーム馬鹿にした欠陥エンジン酷評されるなどし、1997年ティレル(とシーズン途中まで参戦していたローラ)への供給役目終えた。翌1998年からはF1へ参戦するチームエンジン全てV10となってしまったため、DFVエンジンから連綿と続いたコスワースのF1用V8エンジンは、1997年一度幕を下ろすこととなった2000年からフォードスチュワート買収しジャガー・レーシングとして参戦、コスワースブランドでワークス供給していたが、活動2004年終了した(フォードブランドとしては2003年ジョーダン・グランプリ供給しているが、カスタマー待遇)。尚、2003年ブラジルGPジャンカルロ・フィジケラドライブによる優勝が、現在F1におけるフォード・コスワースエンジンの最後勝利となっている(フォード・コスワースエンジンとしてF1通算176勝)。また、コスワースエンジンDFV時代からプライベーターチームが愛用してきたブランド故か、参戦以来下位グループ奮闘していたミナルディチームへは、2005年(コスワースTJ2005シリーズ10)までエンジン供給し続けた

※この「HB以降」の解説は、「コスワース」の解説の一部です。
「HB以降」を含む「コスワース」の記事については、「コスワース」の概要を参照ください。

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