DTP以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:17 UTC 版)
業務用の出版物において、かつては熟練の職工が活字を組む作業が出版業界では一般であったが、コンピュータの出現と普及と共にその作業を電子化する試みが模索されるようになった。1970年代にはいくつかの会社によって業務用の電算写植システムが開発され、アメリカにおいてはAtex社が有名となり、新聞社や大手出版社などに採用されていた。 また、1978年にはレイアウトに関する命令を記述したタグを用いる組版ソフトとしてTeXが開発され、コンピュータ上で印刷原稿の編集作業を行う環境が実現された。しかし当時はこれはDTPとは呼ばなかった。これらのシステムとDTPとの最大の違いはWYSIWYG(逐次出来上がった組版を確認)がないことである。WYSIWYGがない状態では作業の結果の確認を出力(あるいはプレビュー)といった形によってしか実現できない(ちなみにTeXでWYSIWYGができるソフトにGNU TeXmacsなどがあるが、日本語の扱いが完全ではないために一般化はしていない)。 WYSIWYGを不完全ながら最初に実現したのは1970年代のゼロックス社のパロアルト研究所で、その成果は1981年にXerox Starワークステーションとして市販された。 一方民生の出版物においては、自宅でタイプ原稿を作成するための環境として、1980年代以前の欧米ではタイプライターが一般的に用いられていた。しかし1984年1月、WYSIWYG(パソコンの画面に表示されたものとプリンターで印刷したものが同じ)を実現したApple純正ワープロソフトのMacWriteを標準搭載したパソコンのMacintosh(初代Mac)が発売され、さらに1985年1月にMac版のMicrosoft Wordが発売されると、従来のタイプライターによる原稿の制作環境をMacとワープロソフトで代替し、「Macをタイプライターとして使う」ことが一般的に行われるようになっていった。 1984年、Atex社の社員であったポール・ブレイナードがAtex社を辞職してAldus社を創業する。1985年、Aldus社がMac用ソフトとしてPagemakerを発売するにあたって、「Microsoft Word」との差別化の為に「Macはタイプライターではない」ことを示す必要があった。そのためのマーケティング用語としてブレイナード社長が打ち出したのが「デスクトップパブリッシング」(DTP)である。1985年1月に開催され、アップル、アドビ、アルダスなどのメーカーが一堂に会した、アップル社の株主総会において発表された。 1985年当時、Pagemakerに類似するソフトの中でも、特にMicrosoft Wordは高度なWiSIWYGを実現し、さらにApple純正プリンターのLaserWriterに対応するなど、DTPに相当する機能を多少は持っていたので、Mac用ワープロソフトとしてデファクトスタンダードとなるほど売れたが、Pagemakerはその優れたレイアウト機能と、「MacとPagemakerがあれば業務用の高価な電算写植システムを置き換えることが可能」だと宣言することで、PagemakerがMicrosoft Wordのような単なる文書編集ソフトではないことを示すマーケティングを行った。 DTP以前の印刷までの作業工程は、デザイン、版下作成、製版がそれぞれの専門家に分業化されていた。DTPではこれらの作業をすべて1人で行うことが可能となる。
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