ADEKA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:44 UTC 版)
1915年、古河合名鉱業部(現・古河機械金属)副部長の山口喜三郎が桂川電力(現・東京電力)の役員と電力を利用した新事業としてのソーダ工業の創業について協議し、これが端緒となり同年に古河合名会社(現・古河機械金属)・桂川電力・東京電気(現・東芝)の3社出資の匿名組合「東京電化工業所」(現・ADEKA)が設立され、電解ソーダの工業化試験が開始された。そこでの晒粉生産に成功し、1917年に東京電化工業所を発展的に解消し、新会社「旭電化工業」(現・ADEKA)が設立された。この新会社設立の陰の功労者は山口喜三郎で、それは山口が電気分銅の技術者でありながら食塩分解の必要性を古河グループ内で力説し、幹部を説得したことによるものである。 旭電化工業の設立の背景は、1914年の第一次世界大戦の勃発により、それまで需要の大部分を輸入に依存していたソーダ灰・苛性ソーダの海外からの調達が難しくなり、ソーダ工業製品の国内需要が急増したため、当時の最新技術である電解ソーダ法により、ソーダ製品を製造すること目的とするものであった。古河合名会社は鉱業から工業への展開を模索しており、桂川電力は電力の新規需要先の開拓のため、東京電気は電気製品事業の新しい展開を図ることを目途とし、3社それぞれの企図が合致して合弁事業が発足した。発起人は古河合名会社理事長・近藤陸三郎、古河合名鉱業部副部長・山口喜三郎、桂川電力社長・雨宮亘ほか2名、東京電気監査役・長富直三(東京電気元社長、山口喜三郎の岳父)であった。 旭電化工業は、日本の電解ソーダメーカーとして先駆者的地位にあったが、そのため技術・販売・労務管理上、多くの困難に遭遇し、創業開始後2年にして第一次世界大戦後の恐慌(1920年)とアメリカ・イギリス両国からの苛性ソーダの輸入の増大という試練を受け赤字計上が続き、また古河商事の大連事件の発生(1920年)の影響もあり会社の閉鎖の議論まで行なわれたが、経営者と従業員が一丸となって会社存続を訴え、設備の合理化と硬化油・石鹸・合成塩酸製造への多角化などにより、創業後10年を経て経営の発展基盤が確立された。
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日本の化学工業メーカー |
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古河グループ |
古河電子 フォーム化成 ADEKA ニフティ 富士電機アセッツマネジメント |
荒川区の企業 |
井関農機 クリナップ ADEKA NRE大増 光製作所 |
日本の食用油メーカー |
ボーソー油脂 かどや製油 ADEKA 福岡製油 日清オイリオグループ |
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