5勝クラブとは? わかりやすく解説

5勝クラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:59 UTC 版)

ツール・ド・フランス」の記事における「5勝クラブ」の解説

ツール総合優勝を5回達成した選手達を俗に「5勝クラブ」と呼んでいる。「5勝クラブ」に名を連ねている4人はいずれ歴史に残る名選手である。2005年ランス・アームストロング史上初の7回の総合優勝達成したが、2012年ドーピングよるものとして7連覇記録剥奪されている。 ジャック・アンクティルフランス優勝年……1957年1961年1962年1963年1964年 タイムトライアルスペシャリストである。1957年初出場にもかかわらず圧倒的な強さ初優勝飾ったその後肺炎等のため勝利から見放されていたが1961年カムバック遂げ勝利を重ねた1964年レースでは消化不良苦しんだが(休養日に振る舞われた羊料理のためとされる)それを隠し通しライバル追撃振り切り5度目栄冠摑んでいる。 エディ・メルクスベルギー優勝年……1969年1970年1971年1972年1974年 ツール・ド・フランス5勝に加えジロ・デ・イタリアでも5勝、世界選手権でも3回優勝している。クラシックレースでの強さ圧倒的で、勝利対するあまりの貪欲さから「食人鬼」の異名をとった。トータル525勝、勝率28.12%は、史上最も偉大な選手としてふさわしい記録である。 初出場1969年には総合優勝加えてポイント賞山岳賞併せて受賞し主要3部独占果たしており、この記録達成した選手今もなおメルクスただ一人である。 ベルナール・イノーフランス優勝年……1978年1979年1981年1982年1985年 アンクティル、メルクス続いて初出場初優勝飾った。「ブルターニュ穴熊」の異名呼ばれた1985年レースでは山岳ステージ落車で鼻を骨折し呼吸困難になるアクシデント見舞われチームメートだったグレッグ・レモン優勝チャンス舞い込んだが、翌年イノーレモンアシスト徹することを条件優勝を譲らせたという逸話残っている。しかし翌年、6勝目挙げるべくレモン立ちはだかったため2人の間に確執生じることとなった結局この年レモン総合優勝をしている)。かねて公言していた通り1986年32歳で引退したミゲル・インドゥラインスペイン優勝年……1991年1992年1993年1994年1995年 ツール・ド・フランス史上初となる5年連続優勝達成した。80kgを超す巨体ながら山岳ステージ個人タイムトライアル絶対的な強さ発揮した1992・1993年にはジロ・デ・イタリアツール・ド・フランス両方総合優勝する「ダブルツール」を2年連続達成するという、空前絶後の偉業成し遂げている。 圧倒的な強さ加え、どの選手からも尊敬され愛される穏やかな人柄から「ロワ・ソレイユ(太陽王)」とまで呼ばれた。また日本では相手選手引き離してもすぐ背後に貼りついている様子から「ターミネーター」呼ばれていた。

※この「5勝クラブ」の解説は、「ツール・ド・フランス」の解説の一部です。
「5勝クラブ」を含む「ツール・ド・フランス」の記事については、「ツール・ド・フランス」の概要を参照ください。

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