3リットル7 (415S)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 14:49 UTC 版)
「トヨタ・7」の記事における「3リットル7 (415S)」の解説
1968年にデビューした初代トヨタ7は社内コード415Sと呼ばれる。1967年春に開発計画がスタートし、同年8月にヤマハ側で具体的な開発作業がスタート。1968年1月に1号車が完成した。 1968年の日本グランプリで参加が許容される二座席レーシングカーが選択された。シャーシはツインチューブ式のアルミニウム製モノコックを採用した。当時の最先端の技術に挑戦したというよりも、短時間で製作できるという理由から選択したものであった。小さな構造物をリベットでつなぎ合わせる形式だったが、走行中の負荷によりリベットが緩んでシャシー剛性が落ちるという問題が発生。補強を重ねたために重量超過というハンディを負うことになった。専用のV型8気筒エンジンが完成するまでは2000GTの直列6気筒エンジンを搭載してテストを行ったため、ドライバーズシートが前方寄りに位置している。サスペンションは2000GTのレイアウトを流用し、リアのダンパーユニットをアッパーウィッシュボーンよりも上部に配置したのが特徴であった。ギアボックスはZF製の5速MT。 エンジンはアルミニウム合金製の2,986cc・90度V型8気筒NA・DOHC2バルブの61E型を開発した。当時のインディカーレースで活躍していたフォード・DOHCコンペティションをモデルとし、Vバンク内排気というレイアウトを採用した。3リットルエンジンを選択したのは、1968年から発効するメイクス国際選手権の参加クラス制限に促したもので、日本グランプリで結果を出したのち、将来的にはヨーロッパの耐久レースに参戦したいという意志があったという。また、開発初期にセンチュリーのエンジンブロックの流用が検討されていたという経緯もある。日本電装が開発したインジェクターは吹きっぱなしの連続噴射式。公称出力は330PS/8,500rpmだが、実際はそこまで達しておらず、シャーシの重量増もあってパワー不足に悩まされた。その後の開発により、最終的には出力328PS/8,000rpm、最大トルク30.8mkg/6,400rpmが得られたと報告されている。なお、アメリカのピート・ブロックに依頼した試作車「JP6(社内呼称400S)」に搭載してのテストも行われた。 ボディはロードスターで、カウルは繊維強化プラスチック製。シェイクダウン後はテスト結果にあわせてフロントノーズの形状変更、オーバーフェンダーやリアスポイラーの追加などのモディファイが行われた(耐久レースに出場する時はヘッドライトを装着した)。エンジンカウルはエキゾーストパイプを覆い隠すタイプと、エキゾーストパイプが上部に露出したタイプの2種類を併用した。
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