2013年〜2015年
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「コンピュータ将棋」の記事における「2013年〜2015年」の解説
2013年5月6日〜5月17日にかけてponanzaが将棋倶楽部24に参戦、92勝5敗の成績でレーティング3453を記録。 2013年 船江恒平とツツカナの練習対局、持ち時間4時間で10〜15局行って、船江はツツカナに対しての勝率が「五分五分ぐらい」と述べている。 2013年11月から翌年2014年3月まで菅井竜也と習甦の練習対局、菅井は習甦に対して「95勝97敗」と述べている。また菅井は、「これからはコンピュータが強くなるという意見の方が多いと思うんですけど、自分は10年ぐらいしたら人間の方が強いんじゃないのかなと思いますね。あまり頷いてもらえる方はいないと思うんですけど」と述べている。 2013年11月から翌年2014年3月までの豊島将之とYSSの練習対局、豊島は「初めの方は全然勝てなくて、最後の方は5割から7割ぐらい勝算があるかなあというような感じだった」と述べている。 2013年11月から翌年2014年3月までの森下卓とツツカナの練習対局、森下はツツカナに対しての勝率が「1割無かった」と述べている。 2015年1月から2015年2月までの斎藤慎太郎とAperyの練習対局、斎藤は「内容的にはほぼ不利で止めてるので、どうだろう 良くて10勝30敗とか40敗ぐらいじゃないですかね」と述べている。 2014年12月から翌年2015年3月までの永瀬拓矢とSeleneの練習対局、永瀬は「通算勝率は1割程度だと思います。ただ、実戦でその1割を引くことは可能だと思いました」と述べている。 2014年12月から翌年2015年3月までの村山慈明とponanzaの練習対局、村山はponanzaに対しての勝率が「1割無かった」と述べている。 2015年6月、千田翔太とAperyの練習対局、持ち時間1時間で50局以上行って、千田はAperyに対しての勝率が「2割ちょうど」「現在のコンピュータ将棋に勝てなくても、挑まなくてどうするのか」と述べている 2015年10月11日、情報処理学会がコンピュータ将棋の実力は2015年の時点でトッププロ棋士に追い付いている(統計的に勝ち越す可能性が高い)という分析結果を出し「コンピュータ将棋プロジェクト」の終了を宣言した。この宣言に対しては、複数のコンピュータ将棋ソフト開発者から様々な反応があった。中には「情報処理学会の活動よく知らなくて謎」「趣味プログラムだから学術的意義とかもとから関係無かった」としたApery開発者の平岡拓也など、コンピュータ将棋開発者は情報処理学会に従って開発している訳ではないことを強調する反応も寄せられた。 2015年12月7日〜13日にかけてponanzaが将棋倶楽部24に参戦、69勝0敗の成績で過去最高記録のレーティング3455を記録(Core i7-6700K,1手 18秒)。 藤井聡太は後に「実は自分もponanzaとネットで3、4局指したんですけど、全部負けてしまいました。もちろん負けたくないと思いましたけど、将棋の長い歴史の中でコンピューターと棋士が戦った一瞬に居合わせられたことは良かったと思います」と述べた。 2015年、羽生善治は「今、将棋の人工知能は、陸上競技で言えば、ウサイン・ボルトくらいです。運が良ければ勝てるかもしれない。しかしあと数年もすれば、F1カーのレベルに達するでしょう。そのとき、人間はもう人工知能と互角に勝負しようとは考えなくなるはずです」と述べた。
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2013年〜2015年
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「シルクメビウス」の記事における「2013年〜2015年」の解説
2013年5月30日付でJRAの競走馬登録を抹消。門別競馬場へ移籍することとなった。移籍初戦のレースでは久々の勝利を挙げるも、その後は勝ち星には恵まれず、2015年5月28日の赤レンガ記念11着を最後に現役を引退した。
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