2代目・W40型系(1982年 - 1999年)
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「日産・シビリアン」の記事における「2代目・W40型系(1982年 - 1999年)」の解説
1982年(昭和57年)8月 - フルモデルチェンジ、型式がW40型となる。同年5月にライバル車のコースターがフルモデルチェンジされたのを受け、対抗してフルモデルチェンジが行われ、2代目となる。 GC340型系に比べ、標準・ロング共に車体サイズは一回り大きくなった。先に登場したトラックのアトラスと主要コンポーネントのほとんどを共有している。この代から、シフトレバーの配置がコラムシフトからフロアシフトへ変更された。 搭載エンジンは、ディーゼルED33型(96馬力)と、ガソリンエンジンZ22型(105馬力)の2種の直列4気筒に加え、上級グレード用に直列6気筒ディーゼルのSD33型(95馬力)が加わった。 ヘッドライトは下級グレードと幼児車は丸型4灯、それ以外は角型4灯になる。ハイルーフ車には大型観光バスのセミデッカー車風の明かり窓が装備可能。 1984年(昭和59年)7月 - コースター、ローザに対抗するため、ターボ車を追加。エンジンはED33の改良型の直噴式FD33T型(120馬力)で、W40型系唯一となる6速MTを採用。レジャーパック仕様車を設定。 1988年(昭和63年)5月 - マイナーチェンジ。ハイルーフ車のフロントマスクのデザイン変更、エアサス車及び回転対座シート装備のスーパーリムジンを追加。 先にサファリで搭載された4.2L 直列6気筒ディーゼルTD42型(125馬力)を従来のFD33T搭載車と入れ替え。この際にガソリン車は廃止される。 1990年(平成2年)6月 - 4気筒ディーゼルエンジンを従来のED33型から、平成元年排出ガス規制適合のED35型(3.5L・105馬力)へ変更。 1993年(平成5年)8月 - 一部改良。車名ロゴ・エンブレムを小文字の「Civilian」から大文字の「CIVILIAN」へ変更。 インパネの形状変更。3代目のW41型でも同じものが使用されている。同時にパーキングブレーキをステッキ式からレバー式に変更。 ハイルーフをフロントガラス直上まで伸ばして意匠変更。ショートボディエアサス車を追加。 いすゞ自動車にOEM供給を開始、「いすゞ・ジャーニー」として販売。 1994年(平成6年) - オーテックジャパンが架装するレトロ調「クラシックバス」を設定。 1995年(平成7年)8月 - マイナーチェンジ。平成6年排出ガス規制に適合。 最上級車種が自然吸気のTD42型では商品性の面でコースターに劣るため、TD42T型(155馬力)を追加しディーゼルターボエンジンが復活、AT車も設定された。これにより差は縮まったものの、コースターのターボ車は直噴式であり、完全に並んだわけではなかった。 小回り性を向上し、最小回転半径は標準車が5.5m、ロング車が6.4mとなる。 MT車に可倒式ショートシフトレバーを採用。 ヘッドランプを角形4灯から異型角形2灯へ変更。ステアリング形式をラック&ピニオンに変更。 1988年改良型標準ルーフ 1993年改良型ハイルーフ 1995年改良型 リア(4WD車) クラシックバス(富士急山梨バス)
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