1985年 - 1999年
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「アリソン・クラウス」の記事における「1985年 - 1999年」の解説
クラウスは1985年にラウンダー・レコードとの契約を得て、1987年にはデビュー・アルバム『トゥー・レイト・トゥ・クライ』を発表。続く『Two Highways』(1989年)は、初めてユニオン・ステーションと連名のアルバムとしてリリースされ、グラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞にノミネートされるが、受賞は果たせなかった。 1990年のアルバム『アイヴ・ガット・ザット・オールド・フィーリング』で、クラウスは初めてビルボードのカントリー・アルバム・チャート入りを果たして最高61位を記録し、このアルバムでグラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞を受賞した。次作『Every Time You Say Goodbye』(1992年)はカントリー・アルバム・チャートで75位に達し、2作連続でグラミー賞最優秀ブルーグラス・アルバム賞を受賞。 1993年、クラウスはグランド・オール・オプリのメンバー入りを果たす。ブルーグラスのアーティストがメンバー入りするのは29年ぶりで、また、当時としては最年少のメンバーであった。 1995年発表のコンピレーション・アルバム『Now That I've Found You: A Collection』はカントリー・アルバム・チャートで2位、総合チャートのBillboard 200でも13位という大ヒットを記録して、1996年3月にはRIAAによってダブル・プラチナに認定された。また、クラウスは1995年のカントリーミュージック協会賞で女性ボーカリスト賞とホライゾン賞を受賞し、シングル・ヒット曲「When You Say Nothing At All」がシングル賞を受賞した。クラウス自身もこの成功に驚き、2002年のインタビューで当時のことを「本当に不思議」「有名になったことで自由に外出もできなくなった」「私の名前を見た自動車教習所の受付が、私を見上げて眉をひそめて『あなたがそんな恰好で出歩くなんて信じられない』って言ったこともあった」と振り返っている。 『Now That I've Found You: A Collection』の大ヒットの後、1997年に発表されたアルバム『So Long So Wrong』はカントリー・アルバム・チャートで4位、Billboard 200では45位に達し、第40回グラミー賞では3部門を受賞した。音楽評論家のCub Kodaはオールミュージックにおいて『So Long So Wrong』を「メインストリームの成功が訪れた時に起こりがちなことに反した、ギミックの全くないアルバム」と評している。また、1997年にはギタリスト/ハーモニカ奏者のパット・バージェソン(英語版)と結婚。2人の間には長男が生まれたが、2001年に離婚している。
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1985年 - 1999年
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「フォーカス (バンド)」の記事における「1985年 - 1999年」の解説
1985年、ファン・レールとアッカーマンが「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール(Jan Akkerman & Thijs Van Leer)」名義でアルバム『青い旅路・フォーカス(英語版)』を発表するが商業的には失敗に終わった。 1990年、ファン・レール、アッカーマン、ファン・デル・リンデン、ライテルの顔ぶれで一時的に再始動。オランダでテレビ出演を果たす。 1993年にも「ヤン・アッカーマン & タイス・ファン・レール」の連名でライブ活動をしたものの、再結成に至らず。1997年には、ファン・レール、クルフェール、ライテルがギタリストのメンノ・ホーチェスと再結成を試みたが、1999年に失敗に終わる。
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