1984年春頃の状況
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「ブレイクダンス」の記事における「1984年春頃の状況」の解説
映画『ブレイクダンス』1984年6月23日公開時に『週刊平凡』1984年6月22日号で、映画評論家の渡辺祥子が、ブレイクダンスとは何かと当時のアメリカニューヨークに於けるブレイクダンスの状況を長く頁を割いて説明している。映画の紹介がほとんどないのは、当然当時の日本人はほぼブレイクダンスを誰も知らない状況であったため、まずブレイクダンスとは何かの説明が必要だったものと考えられる。この年の3~5月に書かれたものと見られ、要点は以下の通り。現在の定説とは違う、或いは間違いがあるのかも知れないが当時の原文のママ記述。見出しは「ナイフや銃で闘っていた黒人たちは、いまやブレイクダンスを武器に勝負する 全米を揺るがすこの激しい社会的現象は映画『ブレイクダンス』を境に再び日本を襲撃してきた」で、内容は「ブレイクダンスとは基本的にソロで踊る。ほかのダンスとの違いは、一人が踊っている他の者は休止し、踊りを眺める点。ブレイクとは休息を意味し、既成のダンスをぶっ壊す意味もある。ジェニファー・ビールスが一夜にしてスターになった『フラッシュダンス』(1983年)の中に、ちょっと風変わりなダンスを踊る黒人たちが出てきたとき、私は、アレッ!?と目を見張った。あれは、夏になるとワシントンスクエアやブロードウェイの劇場の前で、ダンボールを敷いて踊っているのと同じ人じゃないかな?でもまさか街で踊っている人たちを連れてきたんじゃないですよね。彼らの動きはダンスというよりもゼンマイ仕掛けの人形を思わせたり、複雑な器械体操に似たものだけど、ジェニファー・ビールスが、ラストのオーディションでこの動きを一部取り入れているものを見ると、ちゃんとダンスになっているというより、とても新鮮で大胆でセクシーな魅力があふれている。この風変わりなダンスがブレイクダンスと呼ばれていることは『フラッシュダンス』を見る前から、ニューヨークのタウン誌などで知っていた。そのときの記事には、最近ディスコで踊る人たちの中には《ブレイクダンス》の動きを取り入れている人が目立つようになったとあったが、当時の普通のディスコでは『サタデー・ナイト・フィーバー』以来のディスコダンスがそのまま続いているようだったし、ブロードウェイではタップがブームを予感させ、他のダンスの入り込む余地はないように見えた。ところが『フラッシュダンス』で《ブレイクダンス》が日の目を見ることになり、昨年(1983年)秋から、ブロードウェイのステージで評判を呼ぶ『タップダンス・キッド(英語版)』には、ついに《ブレイクダンス》が登場してきたのだ。ブロードウェイの舞台に取り入れられた、ということはダンスの世界で公認されたということになるのだろうか。10年ほど前(1974年)に荒廃したサウスブロンクスで自然発生的に生まれ、黒人やスパニッシュ《スペイン語をしゃべる人たち》の間で流行し始めた《ブレイクダンス》は……」などと書かれている。これらの記述から1984年の春の時点では、日本では一般レベルではブレイクダンスはまだ全く知られていない状況で、ニューヨークでも一般レベルではまだ誰からも認知されている状況ではなく、公園や街で踊っている人たちが目立ってきたぐらいの認識だったのかも知れない。
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