ツール・ド・フランス1980
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/17 03:29 UTC 版)
第67回 ツール・ド・フランス 1980 | |
---|---|
全行程 | 22区間, 3842 km |
総合優勝 | ヨープ・ズートメルク 109時間19分14秒 |
2位 | ハニー・クイパー +6分55秒 |
3位 | レイモン・マルタン +7分56秒 |
4位 | ヨハン・デミュインク +12分24秒 |
5位 | ジョアキン・アゴスティーニョ +15分37秒 |
ポイント賞 | リュディ・ペヴェナフ 184ポイント |
2位 | ショーン・ケリー 153ポイント |
3位 | リュド・ペータース 148ポイント |
山岳賞 | レイモン・マルタン 223ポイント |
2位 | リュド・ルース 162ポイント |
3位 | リュド・ペータース 147ポイント |
新人賞 | ヨハン・ファン・デル・フェルデ 109時間44分42秒 |
チーム優勝 | ミコ・メルシエ |
ツール・ド・フランス1980は、ツール・ド・フランスとしては67回目の大会。1980年6月26日から7月20日まで、全22ステージで行われた。
みどころ
ジロ・デ・イタリアで初優勝を果たしたベルナール・イノーが初のダブル・ツール制覇に意欲満々。当大会の総合3連覇もかかっていた。
対して、当大会2年連続、総合2位は過去通算5回を数えるヨープ・ズートメルクが対抗格に挙げられるも、今大会も2位が精一杯ではないかという見方がされていた。だが、思わぬ事態が待ち構えていた。
今大会の概要
イノーは早くもプロローグの個人タイムトライアルを制したばかりか、第4ステージの個人タイムトライアル、第5ステージと連勝。個人タイムトライアルとなった第11ステージではルディ・ペフェナーフからマイヨ・ジョーヌを奪った。
だが、この区間を制したのはズートメルク。しかもイノーに1分39秒の差をつけていた。そのため、イノーはズートメルクに総合タイムで21秒の差しかつけられず、今大会では唯一のピレネー超えステージとなる、第13ステージに向けて不安を残すことになった。そしてその不安が的中してしまう。
第13ステージ途中でイノーが膝を悪くして棄権してしまったのである。これでズートメルクが替わってマイヨを奪い、2位にハニー・クイパーが1分10秒差で続いた。
第16ステージからは4連続でアルプスステージとなったが、ズートメルクはじわりとクイパーに差を広げ、第18ステージでは名だたるクライマーを利して2番手集団でゴール。対してクイパーはこのステージにおいてズートメルクに2分45秒の差をつけられてしまい、総合タイム差は5分22秒差にまで広がったが、勝負はここでついた形となった。ズートメルクは第21ステージの個人タイムトライアルを制し、完全に今大会のマイヨの座を不動のものとした。
これまで、エディ・メルクス、イノーの存在の影に隠れ、「万年2位」の座に甘んじてきたズートメルクがツール出場10回目にして総合初優勝を飾った。
その後
- ズートメルクはその後、38歳の年齢で1985年の世界自転車選手権・個人ロードを優勝。また引退年となる1987年には40歳でアムステルゴールドレースを制した。
- 途中棄権したイノーだが、この年、地元フランス開催となった世界自転車選手権・個人ロードでは優勝を果たした。
総合成績
順位 | 選手名 | 国籍 | チーム | 時間 |
---|---|---|---|---|
1 | ヨープ・ズートメルク | ![]() |
TI=ローリー | 109時間19分14秒 |
2 | ハニー・クイパー | ![]() |
プジョー | +6分55秒 |
3 | レイモン・マルタン | ![]() |
ミコ・メルシエ | +7分56秒 |
4 | ヨハン・デミュインク | ![]() |
スプレンドール アドミラル | +12分24秒 |
5 | ジョアキン・アゴスティーニョ | ![]() |
Puch-Sem | +15分37秒 |
6 | クリスティアン・セズネック | ![]() |
ミコ・メルシエ | +16分16秒 |
7 | スヴェン=オーク・ニルソン | ![]() |
ミコ・メルシエ | +16分33秒 |
8 | リュド・ペータース | ![]() |
アイスブルク | +20分45秒 |
9 | ピエロ・バッゾ | ![]() |
ラ・ルドゥト | +21分03秒 |
10 | ヘンク・リュベルディング | ![]() |
TI=ローリー | +21分10秒 |
マイヨ・ジョーヌ保持者
選手名 | 国籍 | 首位区間 |
---|---|---|
ベルナール・イノー | ![]() |
プロローグ-第1(1)、第11-第12 |
ヘリー・クネットマン | ![]() |
第1(2) |
イヴォン・ベルタン | ![]() |
第2 |
リュディ・ペヴェナフ | ![]() |
第3-第10 |
ヨープ・ズートメルク | ![]() |
第13-最終 |
外部リンク
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「1980 Tour de France」の例文・使い方・用例・文例
- エディは1980年来ビバリーヒルズに住んでいる
- その歌手は1980年代のポップミュージックのアイドルだった
- 彼は1980年の夏に生まれた
- ペレストロイカは1980年代後半に始まった。
- 1980年代、多くの反アパルトヘイト活動家が反逆罪で逮捕された。
- ボリンジャーバンドは1980年代、ジョン・ボリンジャーによって生み出された予想変動率を測るのに最も有益な指標のひとつである。
- 飛ばしは、1980年代まで証券会社によって損失補填の手段として利用されていました。
- 私達の本社は1980年から東京にあります。
- このテーマは1980年代後半から、盛んに研究された。
- 彼女は1980年に生まれました。
- 私は1980年に神奈川の横浜市で生まれました。
- その電車は1980年に作られました。
- 私の会社は1980年に創業した。
- 彼は 1980 年から 1984 年まで大学生だった は in college という》.
- 1980年代.
- 1980 年代の日本の経済成長はめざましかった.
- マイケル・ジャクソンは1980年代にムーンウォークを完成した
- 1980年代後半と再び2000年のイスラエルに対するパレスチナのアラブ族(ガザ地区とウエストバンクでの両方での)による反乱
- イラクとイランの間の水路の管理をめぐる論争は1980年に戦争に至り、そして、国連の停戦決議を受け入れた1988年まで続いた
- 韻を踏む歌詞が伴奏に歌われる、1980年代と1990年代のアフリカ系アメリカ人の音楽のジャンル
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