ジョアキン・アゴスティーニョとは? わかりやすく解説

ジョアキン・アゴスティーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 04:30 UTC 版)

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はフェルナンデス第二姓(父方の)はアゴスティーノです。(Template:ポルトガル語圏の姓名)
ジョアキム・アゴスティーノ
個人情報
本名 ジョアキム・フェルナンデス・アゴスティーニョ
生年月日 1942年4月7日
没年月日 (1984-05-10) 1984年5月10日(42歳没)
国籍 ポルトガル
チーム情報
分野 ロードレース
役割 選手
グランツール最高成績
最終更新日
2016年5月31日

ジョアキム・フェルナンデス・アゴスティーニョ(Joaquim Fernandes Agostinho、1942年4月7日-1984年5月10日)は、ポルトガルの元自転車競技選手。

経歴

ヴォルタ・ア・ポルトガル総合3連覇(1970年1972年)、国内選手権・個人ロードレース6連覇(1968年1973年)、ポルトガル最優秀自転車選手賞10回を受賞した、今でもポルトガルを代表する名選手。

ツール・ド・フランス1969年に初出場し、通算8回の総合ベスト10入りを果たす。1978年1979年にはいずれも総合3位に入り、79年のツールでは、ラルプ・デュエズの区間を制している。ブエルタ・ア・エスパーニャでは3回総合ベスト10入りを果たし、とりわけ1974年の大会では終盤に猛追。最終ステージの個人タイムトライアルを制するなどして、ホセ・マヌエル・フエンテを最後まで追い詰めたが、わずか11秒差及ばず総合2位となった。なお、1977年ツール・ド・フランスでは第18ステージで勝利しながらもドーピング違反により区間記録を剥奪され、総合時間も所要時間プラス10分間の罰則処分を受けた。

1984年、ポルトガル南部のアルガルヴェで開催されたヴォルタ・アン・アルガルヴェのレース中、コースに現れた犬とぶつかり、バランスを崩して転倒。頭部を強打し、意識不明となった。そのとき、アゴスティーニョはヘルメット等の頭部防備品は着用していなかった(当時、ヘルメットの着用義務は無かった)。一時は回復の兆候を見せたものの、5月10日脳内出血のため他界した。

ツール・ド・フランス総合成績

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