ツール・ド・フランス1971
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ツール・ド・フランス1971は、ツール・ド・フランスとしては58回目の大会。1971年6月28日から7月18日まで、全20ステージで行われたが、この年のステージは1日を前半・後半のステージで分けるといった構成も少なくなく、終盤まで激しいマイヨ・ジョーヌ争いが展開された大会となった。
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- 1 ツール・ド・フランス1971とは
- 2 ツール・ド・フランス1971の概要
- 3 外部リンク
ツール・ド・フランス1971
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 20:30 UTC 版)
「ルイス・オカーニャ」の記事における「ツール・ド・フランス1971」の解説
「ツール・ド・フランス1971」も参照 エディ・メルクスはこの年、ツール・ド・フランス3連覇を期し、ここ一本に照準を合わせてきた。大方の下馬評では、メルクスが他を圧倒して3連覇を果たすだろうと見ていた。ところが序盤からメルクスを追い落とす勢いを見せていたオカーニャは、アルプス超えの中盤ステージにおいて圧倒し続け、アルプス終了時点ではメルクスに7分以上の差をつけていた。ひょっとすると続くピレネー超えステージにおいてもオカーニャの勢いはメルクスを勝るのではないかという声まで出始めた。ところが、雨が降りしきり、視界不良の状況となった第14ステージのメンテ峠において、スリップしたメルクスにオカーニャは乗り上げてしまい、そのまま崖下へと転落。瀕死の重傷に追い込まれたオカーニャはマイヨジョーヌのまま無念のリタイアとなってしまった。 一方でこの年、オカーニャは秋に行われたグランプリ・デ・ナシオンで、メルクスらを破って優勝を果たした。
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