ツール・ド・フランス1960
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 14:48 UTC 版)
ツール・ド・フランス1960は、ツール・ド・フランスとしては47回目の大会。1960年6月26日から7月17日まで、全21ステージで行われた。
レース概要
第14ステージ、総合首位のイタリアのガストネ・ネンチーニに対して1分38秒差の2位につけていた、フランスナショナルチームのロジェ・リビエールが中央高地のエグア山を下る途中に崖から10m以上も転落。一命こそ取り留めたものの、これが致命傷となってリビエールは選手生命を絶たれた。
その後、ベルギーのジャン・アドリアンセンが追撃したが、アルプス越えステージでネンチーニはアドリアンセンを引き離した。そして、ネンチーニはそのまま押し切って、初の総合優勝を果たした。
総合成績
順位 | 選手名 | 国籍 | 時間 |
---|---|---|---|
1 | ガストネ・ネンチーニ | ![]() |
112時間08分42秒 |
2 | グラツィアーノ・バッティスティーニ | ![]() |
+5分02秒 |
3 | ジャン・アドリアンセン | ![]() |
+10分24秒 |
4 | ハンス・ユンケルマン | ![]() |
+11分21秒 |
5 | ジョセフ・プランカールト | ![]() |
+13分02秒 |
6 | レイモン・マストロット | ![]() |
+16分12秒 |
7 | アルナルド・パンビアンコ | ![]() |
+17分58秒 |
8 | アンリ・アングラード | ![]() |
+19分17秒 |
9 | マルセル・ロールバッシュ | ![]() |
+20分02秒 |
10 | イメリオ・マッシニャン | ![]() |
+23分28秒 |
マイヨ・ジョーヌ保持者
選手名 | 国籍 | 首位区間 |
---|---|---|
ジュリアン・シェッペンス | ![]() |
第1(a) |
ガストネ・ネンチーニ | ![]() |
第1(b)-第2、第10-最終 |
ジョセフ・グルサール | ![]() |
第3 |
アンリ・アングラード | ![]() |
第4-第5 |
ジャン・アドリアンセン | ![]() |
第6-第9 |
各部門賞結果
第47回 ツール・ド・フランス 1960 | |
全行程 | 21区間、4171.8km |
総合優勝 | ガストネ・ネンチーニ 112時間08分42秒 |
2位 | グラツィアーノ・バッティスティーニ +5分02秒 |
3位 | ジャン・アドリアンセン +10分24秒 |
4位 | ハンス・ユンケルマン +11分21秒 |
5位 | ジョセフ・プランカールト +13分02秒 |
ポイント賞 | ジャン・グラッヂ 74ポイント |
2位 | グラツィアーノ・バッティスティーニ 40ポイント |
3位 | フェデリコ・バーモンテス 35ポイント |
山岳賞 | イメリオ・マッシニャン 56ポイント |
2位 | マルセル・ロールバッシュ 52ポイント |
3位 | グラツィアーノ・バッティスティーニ 44ポイント |
外部リンク
ツール・ド・フランス1960
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 02:54 UTC 版)
「ロジェ・リヴィエール」の記事における「ツール・ド・フランス1960」の解説
この年のツールにおいて、リヴィエールは第2、第6ステージを既に制し、ピレネー越えの最初のステージとなる第10ステージにおいて、この大会の総合優勝を果たすことになるガストネ・ネンチーニを下し、このステージでマイヨ・ジョーヌを奪取したネンチーニに対して、わずか32秒差の総合2位へとつけた。続く第11ステージでは、ネンチーニに1分6秒の差をつけられたが、それでも総合時間差は1分38秒。まだまだマイヨ奪取の可能性は十分あった。ところが・・・ ピレネー越えステージを終え、中央高地が舞台の第14ステージにおいて、エグア山を下る途中に崖から10m以上も転落。何とか一命こそ取り留めたものの、リヴィエールの短いプロ選手生活は、ここで事実上幕を閉じた。
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