1975年–1979年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:17 UTC 版)
「リンカーン・コンチネンタル」の記事における「1975年–1979年」の解説
リンカーンは発売から5年を経たコンチネンタルの大規模な改良を行った。1975年のマーキュリー・グランドマーキーの導入に合わせて、リンカーンとマーキュリーは機械的な共通点はあるものの、2つの旗艦モデルの視覚的な差別化を図り、その一環として、リンカーン・コンチネンタルはコンチネンタルマークIVとのスタイリングの共通性を高める事になった。1975年にはリンカーン・コンチネンタルのエクステリアが大幅に変更された。 ベルトライン下のボディはテールライトが縦型ユニットに変更されるなどマイナーチェンジにとどまったが、ルーフラインは全面的に刷新された。マークIVとの差別化を図るため、2ドアのコンチネンタルタウンクーペでは、Cピラーにスクエアなオペラウィンドウを備えたフルピラー型のルーフラインが採用された。4ドアのコンチネンタルタウンカーはマーキュリー・マーキーやフォードLTDと共通のピラー付きハードトップの代わりに、ワイドなBピラーを採用し、キャデラック・シックスティスペシャル ブロアム(英語版)との差別化を図った。1975年のリンカーンはスタイリングのアップグレードと共にブレーキシステムの大幅なアップグレードを受けた。ベンディックス(英語版)によって設計されたリンカーン・コンチネンタルは、4輪ディスクブレーキシステム(オプション装備)を装備した最初のアメリカ車のひとつとなった。 460 V8の排ガス性能をさらに向上させるために、このエンジンには触媒コンバーターが装備され、有鉛レギュラーガソリンとの互換性はなくなった。 1976年のエクステリアは基本的に前年の物を踏襲し、1963年以来のキャリーオーバー・スタイリングの年となった。コンチネンタルの価格をより競争力のある物にするためにリンカーンはそれまでの標準装備をいくつか減らし、追加のオプション装備とした。 1977年にはリンカーン・コンチネンタルのエクステリアがまたもや見直された。幅広のマーキュリースタイルのフロントグリルからマークVとほぼ同じ幅の狭いロールス・ロイス風のフロントグリルに置き換えられた(ラジエーターグリルのバリエーションは1997年までリンカーンで用いられた)。別の変更点としてリアフェンダーから「Continental」の文字が消えた。 1978年にはリンカーン・コンチネンタルがマーキュリー・グランドマーキーのダッシュボードの改訂版を採用する形でダッシュボードが初めて更新された。 この更新は部品の共通化を高める事に加え、軽量化のために行われた物でプラスチックフレームのマーキュリーのダッシュボードは従来のスチールフレームの物よりも軽量だった。同様の動きとしてリンカーンはリアフェンダースカートのデザインを一新し、後輪の覆いを浅くしたバージョンを採用した。オプションのスライドガラスサンルーフに加えて室内用サンシェード付きの固定ガラスムーンルーフが導入された(1955年のフォード・スカイライナー(英語版)以来)。 1979年にはマーキュリー製のダッシュボードにウッドトリムが追加されるなどインテリアがさらに更新された。リンカーン/マークVのモデルラインから460V8が完全に削除され、400V8が唯一のエンジンとなった。 1975年型リンカーン・コンチネンタルタウンクーペ 1975-1976年型リンカーン・コンチネンタルタウンカー 1977年型リンカーン・コンチネンタルタウンカー 1977年型リンカーン・コンチネンタルタウンカー後部 1978年型リンカーン・コンチネンタル (スタンダードトリム) 1978年型リンカーン・コンチネンタルタウンクーペのグラスムーンルーフ 1978年型リンカーン・コンチネンタルタウンクーペ内装 1979年型リンカーン・コンチネンタルタウンカーのオペラウィンドウ
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1975年–1979年
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「ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」の記事における「1975年–1979年」の解説
1975年、レスター・シアター・カンパニーと提携しているミランダ・エンタープライズはホーンチャーチにあるクイーンズ・シアターにて『ヨセフ』を上演した。ポール・トムリンソン演出、デイヴィッド・ソーントン振付、ヒュー・デュラントによるデザイン、クリス・リトルウッド音楽監督、パトリック・ライカートがヨセフ役、デイヴィッド・サグローヴがファラオ役、そしてナイジェル・ボールドウイン、ベン・ベイゼル、パトリック・ライリーの3人によるナレーターで上演された。 1978年11月から1979年2月と1979年11月から1980年2月、ケン・ヒルはロンドンのウエストミンスター・シアターで『ヨセフ』の大規模公演を上演した。ポール・ジョーンズがヨセフ役、ジョン・ゴールダーがナ レーター役、レナード・ホワイティングがファラオ役を務め、マーティン・ゲイツがプロデューサー、ジャック・フォーサイスが音楽監督、フランシス・リードが照明デザイン、ソウル・ラドムスキーがデザイナーを務めた。このプロダクションのレコードに添付された子供のナレーションによると、リチャード・ウイルコクスのプロデュースでBBCラジオにてこのプロダクションの公演が放送された。
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