1969年のJSL
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ナビゲーションに移動 検索に移動シーズン | 1969(第5回) |
---|---|
優勝 | 三菱重工 |
試合数 | 56 |
ゴール数 | 176 (1試合平均3.14) |
1試合平均 ゴール数 |
3.14[1] |
得点王 | 落合弘(三菱重工) |
合計観客動員 | 328,150人 |
平均観客動員 | 5,859人[1] |
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1969年のJSL(第5回日本サッカーリーグ)は1969年4月6日から11月30日まで行われた。優勝は三菱重工業サッカー部であった。
第13節・11月23日に首位三菱重工とそれを勝ち点差2で追う東洋工業の直接対決があり、三菱が2-0で東洋を下して初優勝を決めた[2]。東洋は第1回(1965年)から前年までJSLを4連覇しており、これが初めて東洋以外のチームが優勝したシーズンになった。得点王は落合弘、アシスト王は杉山隆一と三菱勢が占めた[2]。
大会概要
参加クラブ
成績
年間順位
順位 | クラブ | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 三菱重工 | 24 | 10 | 4 | 0 | 29 | 8 | +21 |
2位 | 東洋工業 | 21 | 10 | 1 | 3 | 31 | 10 | +21 |
3位 | 八幡製鉄 | 15 | 5 | 5 | 4 | 24 | 23 | +1 |
4位 | 古河電工 | 14 | 5 | 4 | 5 | 20 | 20 | ±0 |
5位 | ヤンマー | 13 | 6 | 1 | 7 | 25 | 25 | ±0 |
6位 | 日本鋼管 | 11 | 4 | 3 | 7 | 18 | 32 | -14 |
7位 | 日立本社 | 10 | 3 | 4 | 7 | 17 | 27 | -10 |
8位 | 名古屋相互銀行 | 4 | 2 | 0 | 12 | 12 | 31 | -19 |
優勝 |
社会人との入替戦 |
得点ランキング
順位 | 選手名 | 所属クラブ | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ![]() |
三菱重工 | 12 |
2 | ![]() |
ヤンマー | 10 |
3 | ![]() |
八幡製鉄 | 7 |
4 | ![]() |
三菱重工 | 6 |
![]() |
東洋工業 | ||
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東洋工業 | ||
![]() |
八幡製鉄 | ||
![]() |
古河電工 | ||
9 | ![]() |
東洋工業 | 5 |
![]() |
日本鋼管 | ||
![]() |
日本鋼管 | ||
![]() |
日立本社 |
アシストランキング
順位 | 選手名 | 所属クラブ | アシスト数 |
---|---|---|---|
1 | ![]() |
三菱重工 | 11 |
2 | ![]() |
八幡製鉄 | 7 |
3 | ![]() |
東洋工業 | 5 |
![]() |
ヤンマー | ||
![]() |
日本鋼管 | ||
6 | ![]() |
三菱重工 | 4 |
![]() |
東洋工業 | ||
![]() |
八幡製鉄 | ||
![]() |
古河電工 | ||
![]() |
名相銀 |
表彰
賞 | 選手名 | 所属クラブ | 受賞回数 |
---|---|---|---|
得点王 ゴールデンボール賞 | ![]() |
三菱重工 | 初 |
アシスト王 シルバーボール賞 | ![]() |
三菱重工 | 2 |
スターボール賞 | ![]() |
三菱重工 | 2 |
敢闘賞 | ![]() |
八幡製鉄 | 初 |
年間優秀11人賞 | ![]() |
三菱重工 | 4 |
![]() |
三菱重工 | 4 | |
![]() |
三菱重工 | 初 | |
![]() |
古河電工 | 3 | |
![]() |
東洋工業 | 4 | |
![]() |
日立本社 | 2 | |
![]() |
三菱重工 | 4 | |
![]() |
八幡製鉄 | 4 | |
![]() |
三菱重工 | 初 | |
![]() |
ヤンマー | 3 | |
![]() |
三菱重工 | 初 |
入替戦
参加クラブ
- 日立本社(JSL7位)
- 名相銀(JSL8位)
- 甲府サッカークラブ(全国社会人サッカー選手権大会優勝)
- 浦和サッカークラブ(全国社会人サッカー選手権大会優勝)
成績
JSL | 第1戦 | 第2戦 | 社会人 |
---|---|---|---|
日立本社 | 2-0 | 1-0 | 甲府クラブ |
名相銀 | 2-0 | 2-1 | 浦和クラブ |
- 日立本社と名古屋相互銀行はJSL残留。
出典
参考文献
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
関連項目
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「1969 Japan Soccer League」の例文・使い方・用例・文例
- 「リカレントエデュケーション」とは生涯学習のことで、新しい概念ではなく、1969年にスウェーデンの教育学者が発案したものである。
- 1969年に宇宙飛行士が月面を歩いた。
- 1969 年ロンドン大学の日本研究科に入ると友人の多くから変わり者扱いされた.
- 最初の月面着陸は1969年7月20日のアポロ計画によって達成された
- 1969年、ヘルシンキで行われた米国とソビエト社会主義共和国との間での交渉で、両国での核兵器の保有を制限することを目的とされた
- 人は、1969年に最初に月に足を踏み入れた
- 米国のテニス選手で、全米、全英、全仏、全豪の選手権を同じ年(1953年)に制した最初の女性(1934年−1969年)
- 米国の歌手で映画女優(1922年−1969年)
- ポーランドの作家(1904年−1969年)
- ドイツのテニス選手で、ウインブルドンで7つの女子シングルスのタイトルを取った(1969年生まれ)
- 米国の建築家(ドイツ生まれ)で、バウハウス学校の創設者(1883-1969)
- 米国のジャズのサックス奏者(1904年−1969年)
- ベトナムの共産主義の政治家で、第二次世界大戦で日本人と戦い、1954年までフランス人と、また1975年まで南ベトナムと戦った(1890年−1969年)
- ドイツの精神科医(1883年−1969年)
- 米国の映画俳優(英国生まれ)で、ホラー映画の中の演技で知られる(1887年−1969年)
- 米国の作家で、ビート世代の中心人物(1922年−1969年)
- 米国の労働組合の指導者で、1920年から1960年まで全米炭鉱労組の委員長であり、1935年から1940年まで産業別労働組合会議の議長であった(1880年−1969年)
- 米国のプロボクサーで、1952年に世界ヘビー級チャンピオンとなった(1924年−1969年)
- 米国の建築家(ドイツ生まれ)で、装飾を施していない鉄鋼フレームとガラスの摩天楼を建設した(1886年−1969年)
- 米国の作曲家で、その作品はアメリカの方言の使用で知られる(1893年−1969年)
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