1967年開通の新仲哀隧道とは? わかりやすく解説

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1967年開通の新仲哀隧道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:39 UTC 版)

新仲哀トンネル」の記事における「1967年開通の新仲哀隧道」の解説

仲哀峠行橋市田川市中間位置する峠で、京築地域筑豊地方を結ぶ交通の要所である。新仲哀トンネル開通前明治時代開通したヘアピンカーブが続く狭い峠道通り頂上付近仲哀隧道通過しなければならなかった。その上戦後高度成長期到来交通量増加してきたことにより、旧道より標高の低い位置新道トンネル建設された。この新道は2車線で、カーブ少なくしたルートであったため所要時間短縮にもつながった。 この新道トンネル1967年開通し3代目トンネル開通するまでの40年渡り交通の要所としての役割担った。しかし、時代平成に入ると交通量はさらに増大し歩道がなく歩行者二輪車危険にさらされるという問題浮上したため、歩道付きで現道よりも広い新道トンネル計画発表された。2007年3月5日3代目新仲哀トンネル開通したため、2代目トンネル閉鎖された。 田川郡香春町仲哀峠から京都郡みやこ町通り行橋市行橋IC入口交差点に至る区間は2車線であり、このうち仲哀峠区間前述通り改良整備はされたものの4車線化については未事業化区間として残されている。これを受けて仲哀峠を含む香春町 - 行橋市の未事業化区間について、拡幅およびバイパス建設等を行うための第1回計画段階評価の手続き2019年令和元年9月11日行われた仲哀峠については、現在閉鎖中である新仲哀隧道2代目トンネル)の補修補強行って再利用することで4車線化する方針決まった新仲哀トンネル区間については2022年令和4年)に福岡県田川郡香春町大字鏡山 - 京都郡みやこ町勝山松田に至る延長2.2 kmが仲哀拡幅として事業化された。

※この「1967年開通の新仲哀隧道」の解説は、「新仲哀トンネル」の解説の一部です。
「1967年開通の新仲哀隧道」を含む「新仲哀トンネル」の記事については、「新仲哀トンネル」の概要を参照ください。

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