1967年版の映画とは? わかりやすく解説

1967年版の映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 13:19 UTC 版)

日本のいちばん長い日」の記事における「1967年版の映画」の解説

1967年昭和42年)に公開され日本映画製作・配給東宝白黒シネマスコープ東宝創立35周年記念作品ひとつとして映画化された。東宝内部では、ヒットさせることより製作する意義重視する声が多かったという。本作きっかけとして「東宝8.15シリーズ」として1972年昭和47年)の『海軍特別年少兵』まで6本の映画製作された。 「日本のいちばん長い日」(1967年) 「連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968年) 「日本海大海戦」(1969年) 「激動の昭和史 軍閥」(1970年) 「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971年) 「海軍特別年少兵」(1972年監督には小林正樹内定していたが、彼はプロデューサー藤本真澄折り合い悪く脚本橋本忍推薦もあり、『肉弾』の脚本取り組んでいた岡本監督起用された。岡本本作企画停滞していた時期藤本会った際、『殺人狂時代』お蔵入りにされたことへの不満と、本作の製作を進めることを述べていた。 この映画化に伴い、半には映画化権として80万円、後にヒット記念として東宝から追加40万円支払われた。 岡本撮影に際して可能な限り事実基づいた描写行い、特に本作最後に「この戦争300万人死んだ」という文言加えることに固執したという。公開後賛否両論となり、批判的な意見としては「戦争指導者を英雄視しているのでは?」というものが多かったという。 脚本橋本忍は、「(スタッフ全員がはずれると思っていたのに大当たり取った唯一の映画本作であると証言している。その理由について橋本は、戦後すぐでは受けなかったが、「前が見えない時期振り返ろうとしたからではないか述べている。村井淳志はこれに加えて、(本作以前終戦映画である『黎明八月十五日』や『日本敗れず』と比較して前記竹下正彦による『大本営機密日誌』をベースに、青年将校を「論理一貫性持った真摯な存在として描写した」ことに大きな理由をみている。 昭和天皇はこの映画公開年の12月29日家族とともに鑑賞した

※この「1967年版の映画」の解説は、「日本のいちばん長い日」の解説の一部です。
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