1958年成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:21 UTC 版)
上原町(うわばるちょう) 国道35号より北側の隠居岳山麓に広がる。国道沿いは町工場やオフィスが並び、山麓は民家がまばらな水田地帯となる。三川内に接する山林を開いて造成した上原台ニュータウンへの入居者が多い。 勝海町(かつうみちょう) 町名の由来となった字勝磯は早岐瀬戸にある「徒歩(かち)で渡れる磯」が訛ったものと言われる。西肥バス、佐世保市営バスのバス停に勝磯(かついそ)バス停がある。1970年に早岐バイパスが貫通し、早岐警察署が移転している。住宅地は断崖上にあり、国道202号への通路は急勾配が続く。 権常寺町(ごんじょうじちょう) 小森川北岸の平地全体を占める。権常寺新道沿いの商店街は1989年に「権常寺1丁目」として独立した。全体的に古い住宅街で、主要道は狭いが、市営バスの下の原橋線が設定されており、毎時1本程度の運行がある。 早苗町(さなえちょう) 名前の由来は「早岐」と「下苗手(くだるのて)」を合わせたことによる。早岐川の谷全体を占め、国道35号線を乗り越えて隠居岳山麓に広がる。花高団地造成により、南半分を花高に分割した。住宅密集地で、生活道路は狭く、朝は渋滞が激しい。 陣の内町(じんのうちちょう) 二つの谷からなる狭い土地で、西の谷は市立早岐中学校が占める。東の谷には住宅が並ぶが、上流部は早岐霊園があるだけで閑散としている。 田の浦町(たのうらちょう) 大塔新田の延長線上にある谷に位置し、かつては定時制の佐世保南高等学校早岐分校があった。谷を挟む尾根には若竹台団地とパールヒルズ田の浦が造成され、若竹台は平成2年に分離独立した。 早岐町(はいきちょう)(現存せず) 1987年に住居表示を実施し、1~3丁目に分割された。早岐地区の中枢である。 平松町(ひらまつちょう) 隠居岳の中腹から山稜に広がる農村・山林地帯で、民家は中腹に集中している。冬には積雪や凍結のために早岐まで降りられないことも年に1~2度はある。ほとんどが兼業農家で畜舎も少々見られる。
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1958年成立
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浦川内町(うらがわちちょう) 平地から外れた丘陵地帯にあり、郊外の農村と住宅が混在した町並みが見られる。佐世保刑務所が奥にあるが、宮地区や波佐見町の近道となる抜け道上にあるため、交通量は多い。 崎岡町(さきおかちょう) 広田地区の南半部を占め、丘陵が早岐瀬戸に迫る狭い土地だが、ハウステンボスや長崎国際大学の立地によって宅地化が進んでいる。長崎国際大学付近はハウステンボス町に割譲されている。 重尾町(しげおちょう) 平戸往還の頃からのメインルートで、宮地区に抜ける車が比較的多い。宮崎橋にあった西肥バスの営業所が移転し、バスの本数も飛躍的に増加したほか、平野部は佐世保東翔高等学校の移転など急速に農村・山林地帯から脱却している。 中原町(なかはらちょう) 小森川の蛇行地帯にあり、S字蛇行の内側にある北側の低地は古い住宅街、外側にある南側は断崖となっており、広田町よりもむしろ川向かいの権常寺との結びつきが強く、権常寺町とほぼ一体化している。 広田町(ひろたちょう) 町名は「ひろた」だが、広田小学校・広田中学校は「ひろだ」と濁る。1989年に住居表示を実施して、狭義の「広田町」は東部の山地とウッドヒル広田団地に限定されている。
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