19世紀の成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 02:33 UTC 版)
「ロチェスター (ニューハンプシャー州)」の記事における「19世紀の成長」の解説
ロチェスターが開拓された頃は郵便制度が全く無かった。1768年、一人の郵便配達人が馬でポーツマス (ニューハンプシャー州)ポーツマスからバーウィック、ドーバーを通ってロチェスターに新聞を配達するようになった。1792年、ジョセフ・ペインが週1回郵便を配達し集めていくようになって、事態が改善された。彼が町に到着すると角笛が鳴らされてその到着が知らされた。1812年3月26日にバーク酒場内に固定郵便局が設立された。初代郵便局長はウィリアム・バーカーだった。 最初の大きな事業は製材業だった。ロチェスターはコチェコ川の水力を利用して工場町として発展するに連れ、他の産業も発展してきた。1806年には6つの皮なめし工場、1つの製材工場、毛織物工場および2つの製粉工場があった。1820年代から1830年代まで家具製作所や時計製作所があった。1834年にメカニクス社が設立されて毛織毛布を生産し、1853年のニューヨーク国際博覧会では高品質賞を受賞した。ノルウェイ・プレイン毛織会社は南北戦争で北軍が使った毛布を生産し、1870年には160万ヤード (1,500,000 m) の布を生産したが、19世紀末には廃業した。 1854年、E.G. & E. ウォレス靴会社が設立されて、1901年には700人以上を雇用するようになり、市内最大の雇用主になった。その社名は1920年代にロチェスター靴会社に変えられた。1889年にケッセル耐火煉瓦会社が設立され、ハーバード大学の新しい建物の煉瓦がゴーニックで生産された。貨物はロチェスター市内を通る4つの鉄道線で運ばれた。ロチェスターはマサチューセッツ州ヘイブリルとメイン州ポートランドの間の主要接続駅だった。農業の重要さも継続し、1875年にはロチェスター祭が設立された。1891年、ロチェスターは市制を布いた。 1885年、K.C. サンボーン・ドラグストアに初の電話が引かれ、ドーバーの交換所と接続された。1900年代初期までに、1日に市内通話1,200本、市外通話400本が行われるようになった。 世界恐慌のとき、幾つかの製造業がアメリカ合衆国南部の賃金の安さを求めて移転するか、破産するかした。工業時代の名残として幾つかの素晴らしい建築が残った。コンコードの建築家ランドレットとグリフィンが設計したロチェスター公共図書館がその例である。
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