19世紀の庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:12 UTC 版)
第7代子爵マーヴィンは1844年に8歳で爵位を相続すると、アイルランドの領地49,000エーカー (200 km2) の主人となる。21歳に達すると、こちらの邸宅の大がかりな改装に取りかかり、庭も新しく造園させた。 庭園の設計プランには、マーヴィンが訪れたベルサイユ宮殿の華麗な庭園やウィーンのシェーンブルン宮殿、ハイデルベルクのシュヴェツィンゲン宮殿で得たひらめきが下敷きとなった。工期は合わせて20年かかり、1880年に完成した。 庭園の見どころとして石塔を配したタワーバレー(塔の谷)、日本庭園、有翼の馬の彫像、トリトン湖、イルカ池、生垣に囲まれた庭園、バンベルク門、イタリア式庭園がある。ペパーポット塔の設計は、子爵夫人が大切にした高さ3インチ (7.6 cm) の胡椒入れに基づくと言い伝えられてきた。特筆すべきものとしてペット墓地があり、立ち並ぶ墓碑は「驚くほど思い入れたっぷり」と言われている。 日本庭園と四阿(あずまや) 日本庭園の遣水(やりみず)と水盤 噴水と有翼の馬像 写真A 2頭の牝牛ユージニーとプリンセスに献げた墓碑銘がペット墓地に立つ。
※この「19世紀の庭園」の解説は、「パワーズコート」の解説の一部です。
「19世紀の庭園」を含む「パワーズコート」の記事については、「パワーズコート」の概要を参照ください。
- 19世紀の庭園のページへのリンク