19世紀の文書収集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 03:14 UTC 版)
「ケルン市歴史文書館」の記事における「19世紀の文書収集」の解説
1818年、ケルン市はフェルディナント=フランツ=ヴァルラフの芸術、書籍、古写本の一大収集物を譲り受けた。ヴァルラフが1824年に死去すると、彫刻と絵画は、「Wallrafianum」(現在ヴァルラフ・リヒャルツ美術館として知られるケルンの主要な美術館の一つ)の基礎になっていた。一つの実在として当時から運営された文書館や図書館は、書籍や古写本全てを保存するのに選ばれた。運営上組織が1880年代に分かれると、印刷された書籍全てがこの図書館に渡されたとはいえ、古写本は全て文書館で保管された。このことが大半の公文書館と違いケルン文書館は中世の古写本の一大収集物を誇っている理由である。文書館と図書館は、図書館がケルン大学に新たに建造された建物に移る1934年まで建物を共有していた。 1815年から1857年に死去するまでヨハン=ヤコブ=ペーター=フックスは有志の館長として市立文書館の運営に当たった。1824年に美術館の管理人でありワルラフコレクションの分類分けも行ったフックスは、ワルラフの友人であった。完全な文書類を再組織化し、学術的な調査ができるように内容を整えた。 1857年、レオンハルト=エンネンが最初の常勤の市の公文書保管人になった。自叙伝で有名になった16世紀のケルンの法律家ヘルマン=フォン・ヴァインスベルクの不動産から文書を獲得した。
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