19世紀の皇帝と西ヨーロッパ的皇帝の消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
「皇帝」の記事における「19世紀の皇帝と西ヨーロッパ的皇帝の消滅」の解説
19世紀には皇帝ナポレオンにならって、中南米に新興の皇帝が生まれた。ハイチでは1804年の独立時にジャン=ジャック・デサリーヌが、1849年にはフォースティン=エリ・スールークがそれぞれハイチ皇帝に即位し、特にスールークはクーデターで打倒されるまで「フォースティン1世」として圧政を敷いた。メキシコではアグスティン・デ・イトゥルビデが1822年に皇帝に即位したが、翌年に廃位された。1864年にはハプスブルク家のマクシミリアン大公が、メキシコへ干渉したフランス皇帝ナポレオン3世によってメキシコ皇帝マクシミリアン1世に担ぎ上げられたが、在位わずか3年で革命軍によって捕らえられ、処刑された。 ブラジルでは、1831年にポルトガル王ジョアン6世の王太子でブラジル摂政だったペドロが、ポルトガルから独立したブラジル帝国の皇帝ペドロ1世となった。ブラジルの帝政は中南米の他の「帝国」とは異なり半世紀以上にわたり持続したが、1889年、第2代皇帝ペドロ2世の時に革命が起き、共和制になった。 ヨーロッパでは1852年から1870年まで、ナポレオン1世の甥ルイ=ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝ナポレオン3世を称し、帝政を敷いた(フランス第二帝政)。また1871年には、オーストリアを除くドイツを統一したプロイセン王国の国王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝を兼ね、ドイツ帝国が成立した。 第一次世界大戦の終結と共に、敗戦国であったドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国(オーストリア帝国とハンガリー王国が共通の君主としてオーストリア皇帝=ハンガリー王を戴き、軍事・外交・財政のみ共通の政府が管掌する体制)では革命が起きて帝政が倒れた。また後述するオスマン帝国やロシア帝国でも、革命によって帝政が崩壊したために、ヨーロッパには皇帝が1人もいなくなり、ローマ帝国以来のヨーロッパにおける皇帝の歴史は幕を閉じた(インド皇帝を兼ねていたイギリス国王は唯一の例外であったが、こちらも1947年のインド独立により有名無実化した)。
※この「19世紀の皇帝と西ヨーロッパ的皇帝の消滅」の解説は、「皇帝」の解説の一部です。
「19世紀の皇帝と西ヨーロッパ的皇帝の消滅」を含む「皇帝」の記事については、「皇帝」の概要を参照ください。
- 19世紀の皇帝と西ヨーロッパ的皇帝の消滅のページへのリンク