19世紀の歴史、修復とひび割れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 22:32 UTC 版)
「自由の鐘」の記事における「19世紀の歴史、修復とひび割れ」の解説
19世紀中、自由の鐘は1804年にアレクサンダー・ハミルトンの死を、1824年にフィラデルフィアへのラファイエットの帰還を、1826年にジョン・アダムズとトマス・ジェファーソンの死を、1832年にジョージ・ワシントンの生誕100周年記念を、そして1834年にラファイエットの死、1835年にジョン・マーシャルの死、1841年にウィリアム・ハリソンの死を、それぞれ告げるために鳴らされた。 1839年、ウィリアム・ロイド・ギャリソン著の奴隷制反対を訴えた出版物「ザ・リベレーター」のパンフレットが増刷され、その中に「ザ・リバティ・ベル」と題した詩が載せられた。これは出版物において初めて、自由の鐘を意味する「リバティ・ベル」という名称が使用されたものとして知られている。 2回目にひびが入ったのがいつであるか確かではないが、鐘は1846年2月に修理されている。その修復の方法はストップ・ドリリングとしても知られているが、亀裂の端が広がらないように割れ目に沿って穴を開けていく手法だった。 1846年2月22日、自由の鐘はジョージ・ワシントンの誕生日を祝って、独立記念館の尖塔で数時間に渡って鳴らされた。しかし、鐘が鳴らされた際、修復された割れ目部分の上部から鐘の冠の部分まで亀裂が広がってしまい、使用不能になってしまった。現在もその表面に痛々しく残るその亀裂は世間一般に信じられている説に反し、修復が施された痕跡であって当時できた割れ目そのものではない。 1852年、鐘はそれまで吊り下げられていた尖塔から移動され、独立記念館内の「独立宣言室」に展示されることとなった。その合間、1876年にフィラデルフィアへの寄贈品として「100周年記念の鐘」と題したレプリカが贈られ、この新しいレプリカが代わりに独立記念館の尖塔に取り付けられた。 1885年から1915年まで、自由の鐘は数多くの都市を訪れ、国際博覧会でも展示された。
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