シンジケート
シンジケート(英語: syndicate、ドイツ語: Syndikat)とは、製品の共同販売に関する独占形態のひとつで、共同販売カルテルの発展した形態[1]。シンジケーション(英語: syndication)。
概要
通常のカルテルの場合は、価格・数量協定を組みはするものの、そのなかでは各企業が競争を行うが、シンジケートは、こうした競争を避けるため、製品の販売を個別企業から共同販売機関にあらかじめ移しておき、生産割当てや合理化などを指導しつつ、市場支配力を強化しようとして企業組合を組織する[1]。ただし、販売に関して有する拘束力に比べて生産段階に対しての強制力は相対的に小さいものであり、その面における企業の独自性は保たれているのがシンジケートである[1]。
その他
- 企業による協定、連携など
- 組合
- シンジケート団(シ団、引受団) - 「引受#株式や公社債などの引受け」、「#有価証券の引受け」を参照。
- シンジケートローン - 協調融資。「融資#貸付人」を参照。
- 種牡馬所有の一形態。「種牡馬#シンジケート」を参照。
- コンテンツ等の配給
コンテンツシンジケーション。コンピュータ業界ではシンジケーションを行う相手をシンジケーションパートナーと呼ぶことがある[2][3][4] 。
- 通信社。または通信社が記事や画像等の供給を行うこと。
- 印刷シンジケーション - 新聞や雑誌がニュース記事、コラム、または漫画のライセンスを取得すること。
- 番組販売(番販)、局ネットワークシステムの外部で番組の売買を行うこと。またはその企業。放送シンジケーション。
- Webシンジケーション - Webフィードにより、Webサイトの一部を他のサイトまたは個々の購読者が利用すること。
- 検索シンジケーション - コンテンツターゲット広告の一形態。
- インターネットにおけるフィード。RSSフィードなど。
- 犯罪シンジケート
- 犯罪シンジケートについては「組織犯罪#概要」を参照。
- スポーツ
作品
「シンジケート」という言葉がタイトルとなっている作品、シンジゲートに関する内容を持つ作品など。
- ジョン・ガードナー著、宮祐二訳『シンジケート』(1973)[5]
- リシャール・ベルダン著、山崎淳訳『マルセイユ・シンジケート』(1975)[6]
- 穂村弘『シンジケート』(1990)[7]
- シンジケート (ゲーム) - ブルフロッグおよびエレクトロニック・アーツにより開発されていたリアルタイムストラテジーゲームとファーストパーソン・シューティングゲーム。
- ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
脚注
注釈
出典
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「シンジケート」(コトバンク)
- ^ “顧客向けのマルチチャネルサポート - Microsoft Partner Center”. マイクロソフト (2020年6月17日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “Syndicated Partner Network Training - Microsoft Advertising”. マイクロソフト (2018年2月28日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “JP5243616B2 オンラインサービスシンジケーション - Google Patents”. グーグル (2013年7月24日). 2021年3月14日閲覧。
- ^ “ジョン・ガードナー 宮祐二 シンジケート - 国立国会図書館リサーチ”. 2020年7月27日閲覧。
- ^ “リシャール・ベルダン 山崎淳 - 国立国会図書館リサーチ”. 2020年7月27日閲覧。
- ^ “穂村弘 シンジケート - 国立国会図書館リサーチ”. 2020年7月27日閲覧。
関連項目
シンジケーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:31 UTC 版)
テレビアニメ進出当初からフジテレビとは関係が深く、土曜日の18時30分から19時の時間帯と日曜日の18時から18時30分の時間帯は一時期タツノコアニメが独占していた。しかし1983年(昭和58年)頃から日曜18時枠の廃枠や『イタダキマン』の不振をきっかけに関係はゆるやかながら縮小していき、1985年(昭和60年)の『炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ』を最後に四半世紀ほどフジテレビでのアニメ放送は途絶える事になった。2011年(平成23年)4月、フジテレビ系列のアニメ枠「ノイタミナ」枠にて約26年ぶりにフジテレビ系で新作アニメ『C』を放送。以降、日本テレビの子会社になった後も『ピンポン THE ANIMATION』・『PSYCHO PASS サイコパス2』など、ノイタミナ枠でタツノコプロが制作したアニメが放送されるようになった。 広告代理店の読売広告社(読広)の初のテレビ作品がタツノコプロの『宇宙エース』であり、以後も読広と組むことが多かった。初期には読広がタツノコプロの音響制作をし、読広の社員が予告のナレーション台本も担当。多くのタイトルが読広の電波担当役員の松山貫之によって名付けられ、松山は読広退社後の1995年(平成7年)12月から1996年(平成8年)11月までタツノコプロの会長に迎えられる間柄でもあった。
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