5ヶ年計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:28 UTC 版)
「モネ・プラン」は事実上、近代化と設備のための第1次5ヶ年計画であり、フランスを欧州最大の鉄鋼生産地とするというそれまでの諸計画を大いに取り入れた国家経済再建計画であった。モネの狙いは、フランス経済を近代化させ、特にドイツの輸出に対する国際競争力を持たせることにあった。計画遂行のため、彼は総合計画局を組織し、フランスの政府機構に定着させた。ドイツは計画遂行に不可欠な道具と見做された。鉄鋼を年間15万トン増産するという鉄鋼生産計画は、旧ドイツの鉄鋼輸出に取って代わり、ドイツの石炭とコークスの輸入を増やして初めて達成できるものであり、こうしたドイツ資源の支配が不可欠であった。 従って、ライン川東岸のドイツ炭田地域に関する1945年後半以降のフランスの諸提案は、同地域を独自の通貨や関税を有する国際国家に変え、米仏を含む国際機関がこれを監督するというものであった。こうした提案の根拠の一部は、1946年にフランス外務省当局者から米国に対し、次のように説明された。「軍事的安全保障のため、我々はルールに不利益が及ぼうともフランスの鉄鋼生産を向上させたいのだ」。 英米両国は概して、フランスの要求を渋々黙認した。ソ連の影響力増大を懸念したためであった。 モネの回想録は、米国中枢が欧州統合を目指していると彼が認識する1948年4月以前に欧州統合への関心が存在したという、確かな証拠を示していない。後に彼はシューマンへの書簡にてこう書いている。現在の危機を除去する方法はただ1つである。「西欧連邦 (federation of the west) の創造を通じてのみ可能なのだ」と。
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