けいめい‐くとう〔‐クタウ〕【鶏鳴×狗盗】
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:59 UTC 版)
「ニワトリ」の記事における「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」の解説
つまらない技芸、つまらないことしかできない人の喩え。一見つまらないことでも何かの役に立つこともあるという意で用いることもある。『史記』に由り、戦国時代のころ、斉の孟嘗君は秦の昭王に軟禁されたが、イヌ鳴き真似で盗みを働く食客とニワトリの鳴き真似をして夜明けだと思わせる食客のお蔭で脱出し帰ることができたという故事に基づく。
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鶏鳴狗盗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 01:58 UTC 版)
このことが更に田文の名声を高め、紀元前299年に秦の昭襄王は田文を宰相として迎え入れようとした。田文はこれに応えて秦に入ったが、ある人が昭襄王に、田文は当代一流の人材であるが斉の人間であるから、秦の宰相になっても斉の利を優先するに違いない。斉に帰せば秦の脅威となると進言、昭襄王はこれを容れて田文が滞在している屋敷を包囲させ、田文の命は危うくなった。 田文は食客を使って昭襄王の寵姫に命乞いをしたが、寵姫は田文の持つ宝物「狐白裘(こはくきゅう)」と引き替えなら昭襄王に助命を頼んでも良いという。しかし、田文は秦に入国する前に昭襄王にこれを献上していた。悩んでいた所、食客の一人である狗盗(犬のようにすばしこい泥棒)が名乗り出て、昭襄王の蔵から狐白裘を盗んできた。これを寵姫に渡すと、その取り成しによって屋敷の包囲は解かれ、田文はひとまず危機を逃れることができた。 しかし昭襄王の気がいつ変わるかわからない。そこで田文は急いで帰国の途に着き、夜中に国境の函谷関までたどり着いた。しかし関は夜間は閉じられており、朝になって鶏の声がするまでは開けないのが規則だった。すでに気の変わった昭襄王は追っ手を差し向けており、田文もそれを察して困っていたところ、食客の一人である物真似の名人が名乗り出た。そして彼が鶏の鳴きまねをすると、それにつられて本物の鶏も鳴き始め、これによって開かれた函谷関を抜けて、田文は秦を脱出することができた。昭襄王の追っ手は夜明け頃に函谷関へ着いたが、田文らが夜中に関を通ったことを知ると引き返した。こうして田文一行は虎口を脱した。 常日頃、学者や武芸者などの食客は、田文が盗みや物真似の芸しか持たないような者すら食客として受け入れていたことに不満だったが、このときばかりは田文の先見の明に感心した。「つまらない才能」あるいは「つまらない特技でも、何かの役に立つ」を意味する鶏鳴狗盗(けいめいくとう)の故事はここから来ている。 秦から斉への帰途、趙の村に立ち寄ったとき、田文は村人から背の低いことを馬鹿にされた。これに怒った田文は、食客と共に村人を皆殺しにした(ただしこの逸話は史実かどうか意見が分かれる)。
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鶏鳴狗盗
出典:『Wiktionary』 (2021/08/18 13:42 UTC 版)
成句
由来
【白文】
- 秦昭王(略)囚孟嘗君,謀欲殺之。孟嘗君使人抵昭王幸姬求解。幸姬曰「妾願得君狐白裘」。此時孟嘗君有一狐白裘,直千金,天下無雙,入秦獻之昭王,更無他裘。孟嘗君患之,遍問客,莫能對。最下坐有能為狗盜者,曰「臣能得狐白裘」。乃夜爲狗,以入秦宮臧中,取所獻狐白裘至,以獻秦王幸姬。幸姬為言昭王,昭王釋孟嘗君。孟嘗君得出,即馳去,更封傳,變名姓以出關。夜半至函谷關。秦昭王後悔出孟嘗君,求之已去,即使人馳傳逐之。孟嘗君至關,關法雞鳴而出客,孟嘗君恐追至,客之居下坐者有能為雞鳴,而雞齊鳴,遂發傳出。出如食頃,秦追果至關,已後孟嘗君出,乃還。始孟嘗君列此二人於賓客,賓客盡羞之,及孟嘗君有秦難,卒此二人拔之。自是之後,客皆服。
【内容】
鶏鳴狗盗と同じ種類の言葉
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